東日本大震災のボランティアが阪神の時の3分の1の38万人という事実

ちょっと自分としてはショッキングな統計だった。あれだけの規模の大災害で、3ヶ月たった時点でのボランティアの数が阪神大震災の3分の1だったということだ。

確かに記事にあるような事情は理解はできないこともない。


「被災地域が大都市圏から遠く、面積も広いうえ、新幹線や高速道路などの交通網寸断やガソリン不足などから当初は容易に近づけず、福島県では原発事故も重なった」

これに加えて、金銭的な問題も小さくはないと思われる。必要装備代、高速代、ガソリン代、それに現地での宿泊費、食費、その他諸々を自分の力で全て自己完結させようとすると決して少なくない額になる。関東や東北の人であれば、自らも震災や計画停電の影響で仕事がままならない状況になった人も多かったと考えられる。それは被害が局所的で、京阪の大都市圏からアクセスがしやすかった阪神大震災とは大きな違いだ。津波、原発事故がなかったことも大きいが、そうしたアクセス、滞在費用の負担額の大きさがボランティア参加の非常に大きな壁になっていることは間違いない。

また、金銭的に余裕があったとしても、震災対応のために仕事にくぎ付けになって、時間が取れない人もいただろうと想像する。有給を取って来ている人にも大勢出会ったけれど、全ての人にそれができる訳ではない。家族があり、社会的な責任ある立場の人はなかなかこの状況では身軽には動けなかっただろう。

そして、何より情報が不足し、存在していても断片化されている。どこに行ったらいいのか、どのようなことができるのか、どこで必要とされているのか。そうした情報は自分でインターネットなどで丁寧に調べていかないとたどり着けない。技術がない人間は邪魔なだけだなどという偏った言説も流れている中で、実際に情報を精査し、行き先や必要な準備を整え、現地までたどり着くのは決してハードルの低いことだとは感じなかった。私も実際に現地と電話連絡し、当日の朝到着するまでは不安もあったし、把握できていないことも幾つもあった。

現在は南相馬市であれば、テント泊のできる場所があったり格安で泊まれるテント村が有志によって開設されていたりと、滞在してボランティアを続ける環境も整ってきている。情報もBlog上で積極的に開示され、アクセスしやすくなってはいる。支援者を支援し、その間口を広げていくということも、結果的に効果的な支援、復興活動に繋がっていくだろうと考える。全て自己負担、自己責任だけでは賄い切れる災害の規模ではない、ということだ。これからさらに復興の人出が必要になるのであれば、その重要性は高まる。支援者が息切れすれば、支援活動はどんどん尻すぼみになってゆく。無償の善意だけに期待を乗せるのであればそれはお門違いになるだろう。


「自分で何とかしようという東北人気質とともに、『県外者を入れたら物が盗まれる』という警戒感もあった」

前者に関しては強いコミュニティ意識が良い方にも、悪い方にも出る可能性があるということなのかもしれない。南相馬で実際に活動した限りにおいてはそこまでの閉鎖性は感じなかった。4月後半という、一定の時間が経った後のことだったからかもしれない。そして、後者に関しては残念ながらその懸念は実際のものになっている。避難先から戻ってきたら物がなくなっていたという話はちょくちょく聞くし、先日大学生と友人が警戒区域での窃盗で逮捕されたニュースもあった。残念な話だけれど、「日本人は礼儀正しく、整然としている。」という神話じみた美談に乗っかって対策が疎かになってはいけないとは思う。ただ、振り返ってこれまでの間に実際それができのたかと言えば、非常に難しかったとしか言えないと思う。


「GW以降、ボランティア供給源となる大学の授業が本格化したことなどが影響しているとみられる。」

これに関しては間違いない。社会人でもGWに有給を合わせてボランティアに来ている人を何人も見たが、それ以降に休みを取って継続的に来るのは簡単な話ではない。ボランティアがあくまで善意で無償で行うものである以上、本来の学業なり仕事なりを過度に犠牲にして行われるべきものだとは思わない。むしろ、行政側がサポートしていく部分であると考える。被災した地方自治体が対応しきれない状況であるのは理解できるが、そういう時こそ国政が出ていくべき場面で、復興事業に予算を充て、被災者雇用と絡めて現地の「仕事」を作り出すべきではなかったかと今も考えているし、極力早いその実施を望んでいる。そうした復興の基盤があればこそ、ボランティアがそこに補助に入って効果的な支援ができるはずではないか。


繰り返す日常の中で、まだ現在進行形のこの大震災すら過去へと追いやられようとしている。関東を離れ、西に行けばその傾向は強まっていく。関西に住んでいるとその温度差は歴然としていて空恐ろしくさえなる。被災地へのバスツアー、観光ツアー、大いに結構だと思う。行かないよりは百倍いい。一度被災地を自分の目で見ること、可能であればそこで汗を流すこと、現地の人々と話すこと。それを通してこの震災の直接の姿を知ることができるからだ。経済的な効果はもちろん大きいけれど、それだけに留まらない意味があると感じている。

一人でも多くの人がこの震災を他人事ではなく、自らの世界に起こった出来事として受け止め、関わっていってほしいと願う。一番大きな理由は、この震災の被害があまりにも甚大で、復興に協力してくれる人が一人でも増えないと、どうにもならないのではないかと思えてしまうからかもしれない。片付いた瓦礫と、その先の田畑に広がる一面の津波の泥、傷ついた無数の写真や思い出の品々。毎日知らされる様々なニュース、それらはこの震災が決して収束などしておらず、日本人の全てがこれからずっと関わっていかなければならない大きな出来事であるということを繰り返し、繰り返し思い起こさせる。

今、関西と被災地を結ぶ活動をしようと動き始めている。まだまだ、力が必要なのだ。全力であたってどれだけかかるか、そういう類の話なのだ。まずはもっともっと、人の力がいる。この震災のことを自分のこととして気に留め、手を差し伸べてくれる人の力だ。

--以下引用--

 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県で活動するボランティアが、発生当日から3カ月間の延べ人数で、阪神大震災(95年)の3分の1にあたる40万人程度にとどまっていることが、内閣府のまとめで分かった。人数はゴールデンウイーク(GW)以降急減。被災地で復興の本格化とともにボランティアの需要が高まっており、関係者は東京など主要都市と被災地を結ぶ送迎バスを導入するなど、受け入れに奔走している。

 内閣府の震災ボランティア連携室のまとめでは、3県の災害ボランティアセンター(VC)に登録して活動したボランティアの総数は、震災当日から6月5日までの約3カ月間で延べ38万7900人。このほか連合や生協、NPOなどがVCを経由せず数万人規模のボランティアを送り込んでいるとみられるが、合わせても3カ月間で117万人(兵庫県の推計)という阪神大震災に遠く及ばない。

 この差について、同室は「被災地域が大都市圏から遠く、面積も広いうえ、新幹線や高速道路などの交通網寸断やガソリン不足などから当初は容易に近づけず、福島県では原発事故も重なった」と分析。さらに、被災自治体の多くが当初、県外ボランティアを受け入れなかったことも影響していると見ている。

 3県のVCは各地域の社会福祉協議会(社協)が設立。震災からしばらくは大部分が、ボランティア登録を地元住民に制限していた。社協や自治体の職員自身も被災し、大勢を受け入れても指示を出すのが困難だったことに加え、岩手県社協の根田秋雄・地域福祉企画部長は「自分で何とかしようという東北人気質とともに、『県外者を入れたら物が盗まれる』という警戒感もあった」と説明する。

 3県の内訳は、岩手9万9900人▽宮城21万7200人▽福島7万800人。宮城は岩手の倍以上だ。仙台市が被災地とも近接しているのに対し、岩手の被災地は盛岡市から車で2時間以上かかるなど遠いことが影響しているようだ。岩手の被災地には復興から取り残されかねないとの危機感も漂う。福島は原発事故のため立ち入れない区域が広いことが影響している。

 1週間ごとの人数の推移を見ると、震災直後から増え、ピークのGWの週は5万4100人だった。ところが、直近の6月5日までの1週間は2万4100人で、ピーク時の45%にまで落ち込んでいる。GW以降、ボランティア供給源となる大学の授業が本格化したことなどが影響しているとみられる。

 がれきや泥の撤去など復興の本格化で県外ボランティアを積極的に受け入れるようになった被災地は、需給のギャップを埋めようと知恵を絞っている。

 岩手のVCは盛岡市から大槌町へボランティアを無料で運ぶバスを4月に導入。今は陸前高田市や山田町にも出ている。GW以降は東京と被災地を直接結ぶ有料バスが運行し、連日満席という。宮城や福島でも同様のバスが運行されている。

 ボランティア活動と観光地巡りを合体させたツアーも登場している。日本旅行が今月中旬予定する宮城県ツアーは、2泊3日の日中に石巻市で漁港や住宅の泥かきをし、鳴子温泉に1泊。復興支援と観光振興の一石二鳥を狙う。
[PR]
by djsinx | 2011-06-10 18:19 | 震災関連
<< 7/10に福島継続支援のための... 【デザイン】満月際@獏原人村ス... >>