『100,000年後の安全』レビュー。これはいわゆる脱原発映画ではない。

福島第一原発問題に絡み、話題になっているドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』を鑑賞してきた。フィンランドに建設される高レベル放射性廃棄物の最終処理場の話だ。始めてこの施設の中にカメラが入り、撮影したという。

最初はこの映画はいわゆる「反原発」もしくは「脱原発」の文脈で作られた作品だろうという頭で見始めた。題名やどこかで見た作品紹介のせいだろう。でも、実際に鑑賞してみて、この作品はそうした文脈とは一線を画していることに気が付いた。まず、この映画の原題は『INTO ETERNITY』である。安全がどうという話としては提示されていない。「永遠」という言葉が最初に現れるのだ。

フィンランドの安定した地層に掘られた巨大な地下施設。フィンランド語で「隠し場所」の意味を持つオンカロと呼ばれる最終処理場は現在建設が進められ、フィンランド国内の核廃棄物を最終的に保管する場所となる。2100年に満杯となり、コンクリートで固く封じられ、二度と開けられることがなくなるということだ。

そこに保管される核廃棄物が最終的に安全な状態になるには少なくとも100,000年が必要となる。それまでの間、いかに安全にそれを保管しておけるか、ということについて様々な討議が重ねられ、オンカロが建設された経緯を多くの関係者達が証言する。宇宙に打ち上げる計画、海に沈める計画、どれも環境への汚染が発生する可能性があったため、最終的に地下深くに永遠に葬り去ることに決めたのだ。

そこで一番問題になったのは、自然ではなかった。未来の人間なのだ。私達人類は100年後の未来さえまともに見通すことはできない。1900年に描かれた21世紀の予想図を見てみればいい。誰一人インターネットの存在なんて想像してもいなかっただろう。それに、文明というものは興れば滅びるものなのだ。古代ローマ帝国やモンゴル帝国ですらそうだったように。ヨーロッパの歴史を見てきたフィンランド人たちはそのことを深く理解している。

よって、未来の人間達は現代の我々の知恵、技術を受け継いでいない可能性が十分に考えられる。戦争が起こり、経済的な破綻が起こり、国家の地図が塗り変わり、世界の情勢が激変し、多くの情報が失われることはあり得ることなのだ。100,000年という、ピラミッドができてから現在までの歴史の、20倍もの時間の中では。この映画はそういった時間軸に沿って語られていく。だからこそ彼らは、人の手に委ねない、永遠の墓所を作ったのだ。


どうやって未来の彼らにそのことを伝えてゆけばいいのか、そもそも伝えるべきなのか?結論は堂々巡りを繰り返す。現代の複数の主要言語で注意書きをしたモノリスを作る。まるでロゼッタストーンのように。それかいくつかの図柄とイメージを組み合わせて非言語的に示す。まるで未解明の古代遺跡のように。それか、全く忘れ去る。「忘れなければならないということを決して忘れてはならない。」という言い伝えと共に。

そして、私達は気付くことになる。視点を100,000年後に置いたとき、ムーやアトランティスの伝説のような『滅びゆく超古代文明』の立場に我々現代人が立っていることを。我々が残す高レベル放射性廃棄物は、いわば超古代文明が残した遺産とも呼べる存在なのだ。人間のタイムスケールから見たら永遠にも近い歳月を経て、未来の人類の住む世界に確実に存在し続ける。

永遠に封印された暗い地下墓所。そこに眠る恐ろしい力を持ったなにものか。言い伝えを聞いた未来の人類達は何を想像するだろうか。魔剣?龍?魔王?それとも途方もない財宝を守るための作り話?今の人間達がピラミッドを始め数々の遺跡を掘り返しているように、人類が人類である以上は好奇心に駆られてその封印を破るかもしれない。そして高レベル放射性廃棄物を見つけ出すかもしれない。核兵器は作れなくても、それは強力な毒なのだ。

つまりは、我々が見ているのは神話の世界なのだ。それも、これから起こる未来の神話だ。そして、オンカロの管理者、そしてフィンランド政府は神話の素を作ろうとしている。あくまで結果としてだが。我々はもう、その次元まで踏み込んでいるのだ。原子力が人間の力を超え、神の領域に入り込んでいると主張する時、それはまさにこのことを指している。

さらに、現在の高レベル放射性廃棄物の全てをここで処理できるわけではない。30万トンに近い廃棄物が既に地球上に存在する。それを処理するには各国にいくつもの最終処分場が必要になる。それはオンカロのような封印された墓所が未来に渡り、地球のあちこちに散在することを意味する。放射性廃棄物を無害化することはできないし、放っておいてなくなることは決してない。我々人類がどうにか処理しなければならないのだ。

そういった意味で、原発に対して推進派であるか反対派であるかはこの映画では大きな違いではない。どれだけ反対しようと、現代の人類が生み出した放射性廃棄物は既にそこにあり、それは我々全てが未来に対して負っている責任だからだ。推進か反対かはこれ以上増やすか増やさないかの違いでしかない。そういった意味で、この映画は全人類が見るべき作品と言える。誰も逃げ出すことはできないのだ。

このオンカロこそは世界遺産の筆頭に加えられるべき施設と言っていいのかもしれない。人類史上最も長く存在し続ける、現代に生きる我々が未来に残すことになる、真の意味での遺産なのだから。それが負の遺産なのか、どうなのかは未来の人類が決めることになる。でもそれはまた別の物語。我々が語ることはきっと永遠にないだろう。


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by djsinx | 2011-05-31 11:59 | 震災関連
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