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それが何の罪に対しての罰であるかということ

体罰というとみんな過敏になりますが、それがどういった悪いことに対する「罰」で
あるのかを子供がしっかり理解できる形であれば必要なことだと考えます。
もちろん殴らずに済めばそれがベストですがそれは現実を見たとおり
実効性のない理想論。

ただ、それには教師が自分の感情や「教師であること」の特権として怒りをそのまま
ぶつけるのでは論外です。それは「怒って」暴力を振るっているだけで「罰」を
与えていることにはなりません。

自分が怒っているかいないかは別問題として守るべきことを守っているかいないか、
為すべきことをなしているかいないか、そういう部分(法律だったり規則だったり
規範だったり、そこら辺は明確に限定はできないでしょうけど)のぶれない基準を
教師が自らの中にしっかりと持ちそこに基づいて「叱る」ということ。
その延長線上の、ある意味最終手段として体罰はあるのだと思います。

そしてそれは教師だけでなく全ての大人が子供に対して取るべき態度でしょう。
親も親戚も地域の大人全てが。神でも裁判官でもない不完全なただの大人に
そんなことをする権利があるのかという問題ですがこれは権利じゃなくて義務です。
大体完全な人間なんていないし、いたって一人一人の子供についてもらえるわけもないし。
だからって信仰に丸投げしても信仰心なんてほっといてどうにかなるわけじゃない。
不完全な大人が不完全なりに努力して何とかやりくりするしかない。

自分の不完全さを自覚して確固たる基準を持つように勤め、そしてそれに縛られず
常に自問自答して更新し続ける。子供に対してただ怒りをぶつけるのではなく
説明し、理解させ、納得をした上で罰を与える。そこまで真剣に向き合えている大人は
どれだけいるんでしょうね。スポイルされたまま大人になる子供は本当に不幸です。
一種のネグレクトだとすら感じます。


--以下引用--

Excite エキサイト : 社会ニュース

<橋下知事>「手が出ても仕方がない」体罰容認?発言
 大阪府の橋下徹知事は26日、堺市内での府民討論会「大阪の教育を考える」で、「言っても聞かない子には手が出ても仕方がない。どこまで認めるかは地域や家庭とのコンセンサス(合意)次第だ」と述べ、学校での体罰を認めるような発言をした。

 約700人が参加し、綛山(かせやま)哲男・府教育長が教育政策案を紹介。ある府民から「学力向上に取り組むのはいいが、成果主義が過ぎると障害児の排除につながらないか」と意見があり、知事は「そんなことにはしない」と答えた。また知事は学校と地域の連携について「子どもを育てる責任は第一に家庭、第二に地域にある」とし、「子どもが走り回って授業にならないのに、注意すれば保護者が怒鳴り込み、頭を小突くと体罰だと騒ぐ。こんなことでは先生が教育をできない」と主張した。

 全国学力テストの結果開示を巡っては、知事が「先生の9割は開示に賛成だが、ふたをしてしまおうという先生もいる」と話すと、会場から「ウソをつくな!」などのヤジが飛んだ。

 終了後、知事は報道陣に「体罰という言葉にとらわれる必要はない」と語った。一方、出席した府教育委員は「手を出すことは教育者にとって敗北を意味する」と食い違いを見せた。【平川哲也】
by djsinx | 2008-10-27 11:25 | News
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