タグ:南相馬市 ( 13 ) タグの人気記事

南相馬の津波被災エリアの移り変わり

南相馬市には4月の中旬からGWまで、6月の中旬、そして今回の8月中旬の三回足を運んだ。ボランティアをするのがその目的だったが、それぞれの時に津波で被災したエリアの写真を撮っておいた。それはもしかしたら不謹慎なことなのかもしれないと最初は思ったけれど、多くの人が見て知っておくべきことだと感じたので撮影した。このエリアには自衛隊が入って遺体捜索を行い、その後には重機を用いて瓦礫の撤去が行われた。

そして8月の今、津波の泥を被ったエリアには緑が戻ってきていた。海水の塩分、海底のヘドロ、押し流された瓦礫、それに火力発電所や自動車等から流れ出した様々な化学物質に福島第一原発からの放射性物質。それらがこのエリアを覆っていた。数々の雑草と呼ばれてしまうであろう名もない草々が今はそこに生い茂っている。

それは人間とは関係のない営みかもしれない。人間がこの土地を再び以前のように使えるようになるにはもっとずっと長い時間と大変な労力が必要かもしれない。でも、最初は世界の終わりのように見えたこの風景に、勢いよく青々とした植物が伸びているのを見るのは心打たれる出来事だった。今このことを敢えて解釈しようという気にはなれない。分かりやすい、口に甘い答えを欲しいとは全く思わない。

以下、写真にて

2011年4月

c0140612_15534986.jpg


c0140612_15544071.jpg


c0140612_15554055.jpg


c0140612_15555811.jpg


6月

c0140612_15564023.jpg


c0140612_1557819.jpg


c0140612_15575278.jpg


8月

c0140612_15582743.jpg


c0140612_1558533.jpg


c0140612_15595217.jpg


c0140612_1612538.jpg


瓦礫の集積所
c0140612_162762.jpg


6号線沿いの船はまだ手付かずのまま
c0140612_1631923.jpg

[PR]
by djsinX | 2011-08-20 16:04 | 震災関連

2ヶ月ぶりに再び南相馬へと向かった

今回獏原人村の満月祭に参加していた中日の8/12に南相馬市にボランティアに行ってきた。前に行ったのがちょうど2ヶ月前、あの後南相馬市はどのように変わっているのか、変わっていないのか、これからどうなっていこうとしているのか、知りたいことはたくさんあったし、これまでボランティアを続けてきた遺留品展示場に微力でも手伝いができればと考えてのことだった。

朝一番に川内村を出て399号を通って飯舘村に向かって北上する。5月に来た時に見た道路の破損は今もカラーコーンが置かれているだけでそのままになっている。もちろん浜通りのあの状況に比べればかすり傷だし、手が回らないのは言うまでもないが、その事実が重い。

c0140612_1454356.jpg


でもそれ以上に目に付いたのは「特別警戒 防犯カメラ作動中」の看板があちこちに立てられていたことだ。住民の避難したエリアで空き巣狙いが横行しているという話は何度も聞いていたが、生々しいほどにこの看板が立てられている。そして、パトロール中の福島県警のパトカーも何度も目にした。震災直後の日本人の行動は世界中で称賛されたが、これをやっているのも同じ日本人だ。

c0140612_1451618.jpg



体制が変わっていて原町VCは南相馬VC原町支部となっていたが、受付、登録のフローはこれまでと変更はなかった。人数はお盆前の平日ということもあって人は結構多かった。ニーズは次々と埋まっていく。ここで継続して入っていただいている地元出身のリーダーの方とも再会し、展示場の業務に入る。受付の市役所の女の子も元気そうだった。

現在の作業は結構複雑になっていて、以前のようにただ洗浄されてきたアルバムや写真を展示するだけではない。スペースの関係からばらばらの写真はミニアルバムに分類して収納し、陳列しているし、アルバムは暑さや湿気からカビが生えて劣化が始まったために、それぞれ乾燥させてからミニアルバムに移し変えている。既に展示されていたものも状態の悪いものは移し変えを行っている。簡単な洗浄もするが、既に写真の劣化が激しいため水は使わず、刷毛で表面をきれいにするのが関の山なのが現状だ。以前訪れた隣の相馬市の写真が、全て水を使って洗浄しても大幅な劣化が少なかったのとは対照的であり、南相馬市の原発から近く、遺留品の収集が遅れてしまったという特殊性を嫌でも感じる羽目になる。

昼食は各自持ちだが、遺留品関係の現場では、地元で活動するNPOがボランティアのために弁当の出前を行っている。ここで買うと100円が支援のための募金となる。美味しくて好評のようだ。

午後も継続して作業を行う。どうやらお盆に入ることもあり、帰省している人がかなり多いようだ。6月に来た時よりも人が多い。川内村の温泉に行った時にもそういった一時帰宅の避難者の方々をずいぶん見たし、飯舘村ですら車が止まって人がいる家があったのは、恐らくそういう理由だろう。


無事に作業が終わり、「関西ボランティアのための南相馬ガイド」の新しい版を作るためにVCで話を聞く。9月に入れば震災から半年となる。仮設住宅の建設も進んでいるため、ニーズはこれからも変化していく見通しだという。放射能があり、原発が収束していない段階で南相馬市に人が残ること、特に乳幼児や妊婦が生活を続けることの是非の議論はもちろんある。でも、だからといってこのまま手を引くわけにもいかない。出ろと言うだけなら簡単なのだ。出られるようにするための橋を架けなければただの空論に過ぎない。そして出るにしてもその準備が整うまでは手は必要なのだ。

帰り際、満月祭での賄いの食材を買うために立ち寄ったフレスコキクチは相変わらず人で溢れていた。地元の人もいればボランティアできている人もいるだろう。駐車場では県外ナンバーもちょくちょく目にした。物不足はもう過去の話のように見えるし、実際スーパーでは何銘柄かのタバコを除いたら欠品はないと言っていい。ただし、大手のレストランやファーストフード、電気屋などで撤退した企業もある。今戻っていないということは、大きく状況が変わらない限り戻るつもりはないということなのかもしれない。

個人商店やローカルの企業等は比較的営業しているように見えた。もちろん震災以前を知らない分、比べようはないのかもしれない。ただ、原町の商店街のシャッター街を見て「人のいない見捨てられた町」だという感想をBlog等で述べる人も見たけれど、これは震災の影響というより、それ以前から過疎化によって寂れていたためだと地元の人に言われた。もちろん震災で店を閉めた人も南相馬を離れた人もいるのは間違いないが。

そしてもちろんこの過疎化、少子高齢化はこの震災にも大きな影響を与えている。もともと働き手や子供が少ない状態で、震災によって妊婦や乳幼児を抱える家族が南相馬市を離れれば、復興や再建は厳しさを増す一方となる。早急過ぎると批判を受けながらも桜井市長が帰郷を求める理由にこういった昔からの事情があるのは間違いないと思われる。

ただ、20km圏内の小高区を丸々失ったのは非常に大きな痛手でもある。このエリアには工場等の働くための場所が少なからず位置しており、そこが使えなくなったことで再建できない仕事もある。もちろん津波で被災したエリアもある。それによって雇用の再創出は容易ではなく、中長期的に見た時に南相馬市で生計を営んでいくことが可能なのか、先が見えないと感じる層も少なくないと思われる。加えて農業に従事していた層の雇用も新たに創出しなければならないと考えた時に、それはやはり難しい話である。

南相馬市に住むということと、根を張って住み続けることは簡単にイコールであるとは言えない状況なのだと感じる。上に挙げた話以外にも、例えばいわき・東京方面に伸びる国道6号線は復旧の見込みも全く立っていない。震災以前から陸の孤島だと地元の人も感じていたようだけれど、震災後は物理的にそれが加速している。10年後、20年後、例えば子供を育てながら住み続けること、そのヴィジョンを描きながらどこをどのように復興していくのか、真剣に考え始めなければならない時期に入っているのだと思う。容易な話ではない以上、目を背ける訳にはいかない。
[PR]
by djsinX | 2011-08-20 15:15 | 震災関連

南相馬市にボランティアに行くための必要情報【7/5更新】

【更新内容】
7/5付で支援物資についての情報更新がありました。個人からの支援物資の受け入れを再開するとのことです。詳細は下記、「支援物資」の項目をご参照ください。


○概要
6月21日現在で南相馬市では県内、県外共に現地ボランティアを募集しています。詳細については下記公式ブログの最新情報をご確認ください。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/

なお、ボランティアセンターのHPもご確認ください。
http://minamisoma.jimdo.com/

ボランティアの人数はGW後は減少していましたが、それでも週末は100名を越える方々がボランティアに参加され続けているようです。作業は引き続き存在していますが、平日には野外作業を行わない日を設けたり(梅雨の影響もあるかとは思いますが)して作業量の調整などもしているようです。

基本的には予約なしで当日ボランティアセンターに行けばよいのですが、団体の場合は事前に連絡していただけたほうが流れがスムーズになるのでよろしくお願いしますということです。実際日によって依頼件数、必要人数が流動的なので。


○作業
原町区ボランティアセンターでは午前9時より受付開始。社会福祉協議会正面玄関に当日直接来て登録できます。活動が最大で午後4時までなので、遅くなると活動時間がそれだけ減ります。また、希望する活動の種類がある場合は9時からのマッチングに間に合うように到着している必要があります。ただ、初回の方は2回目以降のボランティアとは別の列に並び、オリエンテーションを受け、その後依頼や人員の必要性に応じてそれぞれの現場に赴くことになります。駐車場が少ない現場が多いため、それぞれの班の中で誰かの車に相乗りして現場に向かう形になります。

何があるかは日替わりです。ご参考までに6/21分として発表された原町区の作業予定を一例として掲示します。

・流出物の洗浄・展示
・避難所の運営補助
・仮設住宅用布団の希望者受付・運搬 
・瓦の撤去・運搬l

鹿島区での作業はまた原町区とも異なっており、仮設住宅への物資配達、引越し手伝い等、復旧から復興支援へと活動がシフトしていくとのことです。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/entry-10893081619.html

また、6/25,26には大規模な側溝での泥だし作業が計画されています。

専門知識、資格などもあればあったに越したことはありませんが、ないからといってその人間が不要であるというようなことはありません。基本的な宿泊、食事、移動の手段を自己完結でき、必要装備を用意できるのであれば人手が必要な場所はまだまだあります。現地を見もせずに一般論を振りかざしてあれこれ批判する人もいるようですが、そういった手合いはさっさと無視して現地とのやり取りでニーズを押さえて活動すればよいと思います。


○必要装備
何はともあれボランティア保険に入ってください。天災タイプです。そして保険証もしくはコピーを必ず持参してください。現地でも入れるとのことですが、受付に時間がかかるため、極力出発前に入るようにしてください。

瓦礫撤去、泥だし作業の際は中敷に鉄板の入った安全靴タイプの長靴は必須。現地は品薄の場合があるので、出発前に入手できればベストです。しっかりした厚手の作業用ゴム手袋、濡れてもいい作業用服装、タオル複数枚、帽子は各自準備したほうがよいです。下記リンク参照。帽子、防塵マスクは現在南相馬のボランティアセンターでも支給されています。もちろん自前のものがあればよいです。ちなみに、スコップ、土嚢袋、一輪車のような道具は現地に揃っていて貸し出していただけますので自前で準備する必要はありません。

特にこのところ非常に暑くなってきています。完全防備で野外の作業をする場合は脱水症状、熱中症などに細心の注意を払う必要があります。それら自体も危険ですが、元々足場や作業環境は劣悪なため、事故にも繋がります。

水害ボランティア作業マニュアル:
http://www.saigaivc.com/app/download/3819477115/suigai-manual.pdf?t=1302414307

それ以外の作業を希望する場合は特に上記装備は必要ないことも多いですが、要確認。ゴム手袋、防塵マスクは多くの作業でも必要になってくるので一揃い持参したほうがよいです。

他、必要と思われるものでは、非常用の保存の効く食料、水、寝袋、毛布、着替え、雨具、洗濯用洗剤(コインランドリーはかなり開いています)、筆記用具、洗面具一式、懐中電灯、ラジオ、食器等。キャンプ装備があれば丸ごと持ってくると便利。


○支援物資
支援物資はボランティアセンターでは受付終了しており、南相馬市役所では団体からの支援に限り受け付けていましたが、7/5現在個人からの受付も再会されたとのことです。
http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/shienbussi.jsp

なお、7/5付で下記の通り情報が出ています。


※仮設住宅入居者(6月30日現在2,089名)の方が使用する次の物資が不足しています。
・食料品
  米(精米・玄米)、水(ペットボトル)、レトルト食品、缶詰
・日用品
  トイレットペーパー、ティッシュペーパー、洗濯用洗剤、シャンプー、リンス
  ボディーソープ
・寝具
  タオルケット
・衣類
  夏用上着(Tシャツ、ポロシャツ等) ※新品をお願いいたします
  夏用下着(ランニングシャツ等) ※新品をお願いいたします
・復旧用資材(※被災住宅用)
  軍手、ブルーシート(2間×3間)

【受入れ先】
南相馬市救援物資受け入れセンター(小川町体育館)
住所:〒975-0011 福島県南相馬市原町区小川町322-1

【受入れ時間】
9:00~16:00(現在は土日祝も受入れを行っています。)
※ご支援いただける物資について事前にFAX送信していただけると助かります。

[連絡先FAX番号]
0244-23-7420


また、市役所やボランティアセンターレベルではなく、民間団体、NPO等が独自の活動の上で必要物資を募集している場合があります。個人での支援要請等もあり、web上にはいくつかサイトがあります。

311 HELP.com
http://311help.com/

ふんばろう東日本支援プロジェクト
http://fumbaro.org/


○宿泊
6月17日現在での宿泊可能ホテルが公表されています。
http://www.minami-soma.com/kanko/modules/d3blog_2/details.php?bid=11

現在、原町区にある原町第二中学校の体育館がボランティアのために無料で解放されています。事前予約等は現状不要で、当日直接現地にて受付をして宿泊します。ドミトリー(雑魚寝)の形ですが、寝具もある程度確保されているので身一つで向かう方には便利かもしれません。男女別になっているので女性の方も安心してお泊りいただけるかと思います。トイレ利用可、簡単な調理場もあります。
http://publicmap.jp/guid_map/206071502

鹿島区にテントを持たないボランティア用に南相馬桜援隊というチームによりテント村が設営されています。実際に先日宿泊しましたが、一泊100円なのでかなりリーズナブルです。
http://ameblo.jp/minamisomasakura/entry-10883478494.html


他にもオフィシャルではなくてもスペースを提供されている方、組織もおられます。ボランティアセンターからの斡旋はできない決まりになっているようなので公的には情報は出ていないかもしれませんが、事前にあちこちチェックしてみることをお勧めします。


○食事・買い物
現在、鹿島区、原町区共に商店、レストラン、スーパー等が再開しつつあります。セブンイレブンは立ち入りできる地域では全店営業中(ただし、営業時間の短縮はあり)、現地資本のスーパー、フレスコキクチも鹿島店、原町店、営業再開しました。とても賑わっていて、品切れなども起こる気配はありません。ヨークベニマル、イオンスーパーセンター等も再開済み。

個人商店、食堂等も日ごとに再開している店舗が増えていますので、緊急用の非常食、飲み物等を用意する必要はありますが、現地で購入、食事ができます。復興支援のためにも買占めにならない程度で買い物をするのがよいかと思います。

原町区の駅前エリア、肉屋、魚屋、ラーメン屋、喫茶店、Bar、靴屋にワークショップまで日に日に開けてきています。Coco’sも開いているのを確認。いい流れになっていますがまだまだ客足は少ないとのこと。ご協力よろしく!


○移動
現時点で関東方面から南相馬市へのアクセスは東北道二本松ICから国道4号線→松川で県道51号線→国道114号線→川俣町で国道349号線へ→県道12号線で南相馬市原町区。渋滞がなければ宇都宮ICから4時間程度で到着。鹿島区へはそこから県道120号線もしくは国道6号線で12km程北上。いわき方面からだと国道399号線を通るルートが飯舘村まで通れています。放射線量の高いエリアもありますので自己判断でどうぞ。

ガソリンスタンドは概ね平常営業に戻っているようです。若干値段は高めですが、給油量の制限などは特に聞きません。

ボランティアセンターのHPにアクセスについての記述ができましたのでご参考に。
http://minamisoma.jimdo.com/%E6%A6%82%E8%A6%81-%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9/


公共交通機関の使用を考えている方は、現在福島市のJR福島駅東口から南相馬市までバスが出ています。
http://www.fukushima-koutu.co.jp/bus/pdf/20110513_smfs.pdf

東北新幹線も再開していますし、全国各地から福島市行きの長距離バスも運行されていますのでご確認ください。ちなみに関西からのアクセスでも夜行バスで5~6000円程度から数便あるようです。
http://www.bus24.jp/kansai/kyoto/kyoto-fukusima/




6/13時点での南相馬市沿岸部

ボランティアによる瓦礫撤去、泥だしは進んでいますが、未だに沿岸部には復旧という意味合いでは手付かずのままになっているエリアが存在します。まだ梅雨が続き、夏が来た際には衛生上の問題なども懸念されています。被災地が単純に、一様に復興に向かっているわけではない、そうしたきめ細かな認識が必要になると考えています。ここ南相馬でもホテルや飲食店、スーパーなどが営業を再開し、避難していた人々も南相馬に戻りつつあります。そこにポジティブな面はありますが、ポジティブな面だけでないのも事実です。なれない避難生活への疲れがあり、収束しない原発問題があります。就業、教育、医療、問題はまだまだ山積みです。多くの人がそれを認識し、息の長い支援を続けていくことこそが何よりも求められていると感じています。

c0140612_1220367.jpg


c0140612_12205167.jpg


c0140612_12211830.jpg

[PR]
by djsinx | 2011-06-21 12:21 | 震災関連

南相馬のゴーヤで緑のカーテンを

現在、南相馬市の地元種苗農家が中心となって「南相馬市震災復興に取り組む農業者の会」を設立し、

Plant to Plant
-発電所(Plant)の電気から、緑の苗(Plant)へ-

というプロジェクトが始まっています。南相馬のゴーヤの苗を緑のカーテンとして出荷していくという試みで、現在南相馬市復興モデル事業の第一号に認定されているということです。

今回南相馬市にボランティアに行った際、こちらの団体の担当者からお話を聞かせていただくことができ、関西地区でのチラシの配布、設置等で協力させていただくことになりました。先日も京都災害ボランティア支援センター様、西本願寺様、Cafe Village様に設置させていただきました。

苗の出荷時期の関係から6月中に可能な限り告知、設置できればと考えています。適切な場所、団体等をご存知の方いらっしゃいましたらご連絡いただけたら嬉しいです。

なお、製品に関しまして、ここで出荷される苗は30km圏外のビニールハウス内で育てられ、株式会社加速器分析研究所に持ち込んで、放射線測定テストを行っており、HPには結果報告書も掲載されています。

商品のご購入、詳細情報につきましては下記HPよりご確認いただければと思います。

Plant to Plant HP:
http://www.plant2plant.org/index.html

苗の購入と安全性について:
http://www.plant2plant.org/product.html
[PR]
by djsinx | 2011-06-20 13:46 | 震災関連

東日本大震災のボランティアが阪神の時の3分の1の38万人という事実

ちょっと自分としてはショッキングな統計だった。あれだけの規模の大災害で、3ヶ月たった時点でのボランティアの数が阪神大震災の3分の1だったということだ。

確かに記事にあるような事情は理解はできないこともない。


「被災地域が大都市圏から遠く、面積も広いうえ、新幹線や高速道路などの交通網寸断やガソリン不足などから当初は容易に近づけず、福島県では原発事故も重なった」

これに加えて、金銭的な問題も小さくはないと思われる。必要装備代、高速代、ガソリン代、それに現地での宿泊費、食費、その他諸々を自分の力で全て自己完結させようとすると決して少なくない額になる。関東や東北の人であれば、自らも震災や計画停電の影響で仕事がままならない状況になった人も多かったと考えられる。それは被害が局所的で、京阪の大都市圏からアクセスがしやすかった阪神大震災とは大きな違いだ。津波、原発事故がなかったことも大きいが、そうしたアクセス、滞在費用の負担額の大きさがボランティア参加の非常に大きな壁になっていることは間違いない。

また、金銭的に余裕があったとしても、震災対応のために仕事にくぎ付けになって、時間が取れない人もいただろうと想像する。有給を取って来ている人にも大勢出会ったけれど、全ての人にそれができる訳ではない。家族があり、社会的な責任ある立場の人はなかなかこの状況では身軽には動けなかっただろう。

そして、何より情報が不足し、存在していても断片化されている。どこに行ったらいいのか、どのようなことができるのか、どこで必要とされているのか。そうした情報は自分でインターネットなどで丁寧に調べていかないとたどり着けない。技術がない人間は邪魔なだけだなどという偏った言説も流れている中で、実際に情報を精査し、行き先や必要な準備を整え、現地までたどり着くのは決してハードルの低いことだとは感じなかった。私も実際に現地と電話連絡し、当日の朝到着するまでは不安もあったし、把握できていないことも幾つもあった。

現在は南相馬市であれば、テント泊のできる場所があったり格安で泊まれるテント村が有志によって開設されていたりと、滞在してボランティアを続ける環境も整ってきている。情報もBlog上で積極的に開示され、アクセスしやすくなってはいる。支援者を支援し、その間口を広げていくということも、結果的に効果的な支援、復興活動に繋がっていくだろうと考える。全て自己負担、自己責任だけでは賄い切れる災害の規模ではない、ということだ。これからさらに復興の人出が必要になるのであれば、その重要性は高まる。支援者が息切れすれば、支援活動はどんどん尻すぼみになってゆく。無償の善意だけに期待を乗せるのであればそれはお門違いになるだろう。


「自分で何とかしようという東北人気質とともに、『県外者を入れたら物が盗まれる』という警戒感もあった」

前者に関しては強いコミュニティ意識が良い方にも、悪い方にも出る可能性があるということなのかもしれない。南相馬で実際に活動した限りにおいてはそこまでの閉鎖性は感じなかった。4月後半という、一定の時間が経った後のことだったからかもしれない。そして、後者に関しては残念ながらその懸念は実際のものになっている。避難先から戻ってきたら物がなくなっていたという話はちょくちょく聞くし、先日大学生と友人が警戒区域での窃盗で逮捕されたニュースもあった。残念な話だけれど、「日本人は礼儀正しく、整然としている。」という神話じみた美談に乗っかって対策が疎かになってはいけないとは思う。ただ、振り返ってこれまでの間に実際それができのたかと言えば、非常に難しかったとしか言えないと思う。


「GW以降、ボランティア供給源となる大学の授業が本格化したことなどが影響しているとみられる。」

これに関しては間違いない。社会人でもGWに有給を合わせてボランティアに来ている人を何人も見たが、それ以降に休みを取って継続的に来るのは簡単な話ではない。ボランティアがあくまで善意で無償で行うものである以上、本来の学業なり仕事なりを過度に犠牲にして行われるべきものだとは思わない。むしろ、行政側がサポートしていく部分であると考える。被災した地方自治体が対応しきれない状況であるのは理解できるが、そういう時こそ国政が出ていくべき場面で、復興事業に予算を充て、被災者雇用と絡めて現地の「仕事」を作り出すべきではなかったかと今も考えているし、極力早いその実施を望んでいる。そうした復興の基盤があればこそ、ボランティアがそこに補助に入って効果的な支援ができるはずではないか。


繰り返す日常の中で、まだ現在進行形のこの大震災すら過去へと追いやられようとしている。関東を離れ、西に行けばその傾向は強まっていく。関西に住んでいるとその温度差は歴然としていて空恐ろしくさえなる。被災地へのバスツアー、観光ツアー、大いに結構だと思う。行かないよりは百倍いい。一度被災地を自分の目で見ること、可能であればそこで汗を流すこと、現地の人々と話すこと。それを通してこの震災の直接の姿を知ることができるからだ。経済的な効果はもちろん大きいけれど、それだけに留まらない意味があると感じている。

一人でも多くの人がこの震災を他人事ではなく、自らの世界に起こった出来事として受け止め、関わっていってほしいと願う。一番大きな理由は、この震災の被害があまりにも甚大で、復興に協力してくれる人が一人でも増えないと、どうにもならないのではないかと思えてしまうからかもしれない。片付いた瓦礫と、その先の田畑に広がる一面の津波の泥、傷ついた無数の写真や思い出の品々。毎日知らされる様々なニュース、それらはこの震災が決して収束などしておらず、日本人の全てがこれからずっと関わっていかなければならない大きな出来事であるということを繰り返し、繰り返し思い起こさせる。

今、関西と被災地を結ぶ活動をしようと動き始めている。まだまだ、力が必要なのだ。全力であたってどれだけかかるか、そういう類の話なのだ。まずはもっともっと、人の力がいる。この震災のことを自分のこととして気に留め、手を差し伸べてくれる人の力だ。

--以下引用--

 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県で活動するボランティアが、発生当日から3カ月間の延べ人数で、阪神大震災(95年)の3分の1にあたる40万人程度にとどまっていることが、内閣府のまとめで分かった。人数はゴールデンウイーク(GW)以降急減。被災地で復興の本格化とともにボランティアの需要が高まっており、関係者は東京など主要都市と被災地を結ぶ送迎バスを導入するなど、受け入れに奔走している。

 内閣府の震災ボランティア連携室のまとめでは、3県の災害ボランティアセンター(VC)に登録して活動したボランティアの総数は、震災当日から6月5日までの約3カ月間で延べ38万7900人。このほか連合や生協、NPOなどがVCを経由せず数万人規模のボランティアを送り込んでいるとみられるが、合わせても3カ月間で117万人(兵庫県の推計)という阪神大震災に遠く及ばない。

 この差について、同室は「被災地域が大都市圏から遠く、面積も広いうえ、新幹線や高速道路などの交通網寸断やガソリン不足などから当初は容易に近づけず、福島県では原発事故も重なった」と分析。さらに、被災自治体の多くが当初、県外ボランティアを受け入れなかったことも影響していると見ている。

 3県のVCは各地域の社会福祉協議会(社協)が設立。震災からしばらくは大部分が、ボランティア登録を地元住民に制限していた。社協や自治体の職員自身も被災し、大勢を受け入れても指示を出すのが困難だったことに加え、岩手県社協の根田秋雄・地域福祉企画部長は「自分で何とかしようという東北人気質とともに、『県外者を入れたら物が盗まれる』という警戒感もあった」と説明する。

 3県の内訳は、岩手9万9900人▽宮城21万7200人▽福島7万800人。宮城は岩手の倍以上だ。仙台市が被災地とも近接しているのに対し、岩手の被災地は盛岡市から車で2時間以上かかるなど遠いことが影響しているようだ。岩手の被災地には復興から取り残されかねないとの危機感も漂う。福島は原発事故のため立ち入れない区域が広いことが影響している。

 1週間ごとの人数の推移を見ると、震災直後から増え、ピークのGWの週は5万4100人だった。ところが、直近の6月5日までの1週間は2万4100人で、ピーク時の45%にまで落ち込んでいる。GW以降、ボランティア供給源となる大学の授業が本格化したことなどが影響しているとみられる。

 がれきや泥の撤去など復興の本格化で県外ボランティアを積極的に受け入れるようになった被災地は、需給のギャップを埋めようと知恵を絞っている。

 岩手のVCは盛岡市から大槌町へボランティアを無料で運ぶバスを4月に導入。今は陸前高田市や山田町にも出ている。GW以降は東京と被災地を直接結ぶ有料バスが運行し、連日満席という。宮城や福島でも同様のバスが運行されている。

 ボランティア活動と観光地巡りを合体させたツアーも登場している。日本旅行が今月中旬予定する宮城県ツアーは、2泊3日の日中に石巻市で漁港や住宅の泥かきをし、鳴子温泉に1泊。復興支援と観光振興の一石二鳥を狙う。
[PR]
by djsinx | 2011-06-10 18:19 | 震災関連

森まさこ議員の「南相馬市で餓死者10人以上」発言について

この件は数日前からTwitter上で非常に大きな話題になっている。記事にあるような政府の対応の酷さを嘆く意見も多ければ、ソースの不明確さからデマを疑う意見もある。正直なところ真相はまだ不明だとしか言えないのだろう。

民主党議員、有田芳生氏は下記のように検証する。

http://togetter.com/li/142387

ここでは有田議員は森まさこ議員の発言自体をデマであるとはしていないが、「避難所で餓死」したという尾ひれがTwitter上で付加されたことに対してデマであると言っている。これをして森まさこ議員の発言自体がデマであるとの誤解も生まれ、混乱がさらに助長されているといっても過言ではない。

有田議員は各所への取材の結果確認が取れないとしているが、「確認できない」、「聞いていない」という話が検証の中には出てきているが、「ない」と断言しているものはない。

実際に餓死、もしくはそれに類する事態が発生しえたのだろうかということについて言えば、十分その可能性はあったのではないかと考える。単独で餓死が発生するにはもちろんそれなりの時間がかかる。水があれば2週間程度、とものの本では読んだことがあるが、今回、この大震災の中では「単独での餓死」という形ではなかったことが推察される。

まず、とにかく巨大な地震が起こり、それに伴う津波が発生した。それによって沿岸部は壊滅し、インフラも物流も途絶えた。そして、地震が起きたのは3/11。東北ではまだ雪が降る時期だった。地震の後に避難所に雪が降っている映像を見た記憶のある人も多いはずだ。そうした中で、十分な食べ物、飲み物がなく、防寒もしっかりされない状況があったとして(それは確実にあったと考えられる)、そこで亡くなった方がいたとしても不思議はないだろう。

問題はそれを餓死と言っていいのかという問題だ。食料が不足したことが原因の一つだとしても、むしろ衰弱死とでもした方が実情に即しているのかもしれない。東日本大震災という未曾有の大災害の中で多数の要因が絡み合い、そういった事例は十分にあり得る。

言葉尻を捉まえてデマかどうかで揉めている場合でもないし、それを政争の具に使っている場合でもない。原因は究明し、来るべき次の災害への備えとするべきであると考える。


--以下引用--

ネットコラム - エキサイトニュース

自民党議員の森まさこさんがTwitterで衝撃的な事実を発表した。

福島県南相馬市周辺の飯館村などで、飢餓が原因の衰弱死者が10名以上いるという。彼女のTwitterでの発言の詳細については以下の通り。

「南相馬市保管死亡届のうち衰弱死の記載が7名!本日同市戸籍係が回答。同市監察医が餓死を確認し死体検案書に衰弱死と記載した。周辺の飯舘村などにも餓死があったと彼は言う。合計で10名以上と。政府に問い合わせても不明と答えるのみだった」
(Twitterより引用)

この発言にはネット上でも物議を醸しており、「国民を兵糧攻めにして餓死させるわ、飯舘村の住民を使って人体実験するわ、まさに殺人政府だな。 」といった過激な意見や、「事実とすれば、これはとんでもない話だね。 」などの政府を批判する意見も見受けられた。

なお、この10名は3月末から4月上旬に衰弱により亡くなったと見られているが、原発事故の対応による救援活動の遅れが原因とも指摘されている。

避難所でも度々物資やボランティアの人材不足のニュースが取り上げられているが、他都道府県へ出荷する農産物があるなら地元産野菜を使った炊き出しなどは出来ないのだろうか。避難をされている方々でも力が余っている人が炊き出しを行う事でボランティアにかかる費用を削減したり、他県から送る物資についても腐りやすい生鮮食品を減らすことが出来るはずだ。

ボランティア担当の辻元清美議員は現在ボランティア休暇とボランティアツアーの促進に力を入れているようだが、現地での人材や物資による復興についても目を向けるべきではないだろうか。日本の被災地はアフリカのように物が全くない状態でもないし、内戦が起きているわけでもない。現地で「動きたいが動けない」方々の支援についても、手遅れにならないうちに施策を打って頂けることを願う。
[PR]
by djsinx | 2011-06-01 01:19 | 震災関連

【5/25付 会場一部変更】思い出の品を持ち主に【南相馬市遺留品縦覧会場】

先日ボランティアで訪れていた南相馬市で担当した現場の一つです。津波で被災された方の家から流出し、発見された写真や賞状、ご位牌等の「思い出の品」を洗浄、展示しております。

南相馬市外に避難されている方への周知がまだまだ徹底し切れていない状況があります。もしこの記事をご覧になった方の周りに南相馬市にて被災され、避難されている方がいらっしゃいましたら、当展示場の件につきましてお知らせ願えれば幸いです。

※会場が一部変更になりました。「小高区および原町区の一部(小沢、小浜地区)で発見されたもの」が馬事公苑 倉庫での展示となります。下記住所をご参照ください。

--南相馬市HPより引用--

 津波で流出した写真や賞状などの思い出の品について、下記のとおり縦覧を行います。
 縦覧のうえ、所有物と確認できた物はお持ち帰りすることができます。

小高区および原町区の一部(小沢、小浜地区)で発見されたもの
○場所:
 馬事公苑 倉庫(原町区片倉字畦原4-1)【地図】
※馬事公苑への入口は南側入口をご利用ください。
○期間:5月25日(水)から当分の間(土日、祝日も行います。)
○時期:午前9時から午後4時まで

鹿島区および原町区(小沢、小浜地区以外)で発見されたもの
○場所:栄町柔剣道場(原町区栄町二丁目42)【地図】
○期間:4月19日(火)から当分の間(土日、祝日も行います。)
○時期:午前9時から午後4時まで

※受取方法:本人確認のできるもの(運転免許証など)を持参してください。
※市で当分の間保管、縦覧し、その後は南相馬警察署に引き渡します。

【環境衛生課 0244-24-5231】

http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/ishitsu.jsp
[PR]
by djsinx | 2011-05-25 22:53 | 震災関連

南相馬市にボランティアに行くための必要情報【5/20更新】


○概要

5月20日現在で南相馬市では県内、県外共に現地ボランティアを募集しています。詳細については下記公式ブログの最新情報をご確認ください。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/

なお、ボランティアセンターのHPもご確認ください。
http://minamisoma.jimdo.com/

ボランティアの人数はGW後は減少しています。それでも現在100名を越える方々がボランティアに参加されているようです。基本的には予約なしで当日ボランティアセンターに行けばよいのですが、団体の場合は事前に連絡していただけたほうが流れがスムーズになるのでよろしくお願いしますということです。実際日によって依頼件数、必要人数が流動的なので。


○作業
原町区ボランティアセンターでは午前9時より受付開始。社会福祉協議会正面玄関に当日直接来て登録できます。「出来るだけ午前中に受付をして頂けると助かります」とのこと。活動が最大で午後4時までなので、遅くなると活動時間がそれだけ減ります。また、希望する活動の種類がある場合は9時からのマッチングに間に合うように到着している必要があります。ただ、この受付とマッチングに関しては連日対応やフローが変更になっていました。さすがにもう落ち着いているとは思いますが。初回の方は2回目以降のボランティアとは別の列に並び、初回のブリーフィングを受け、その後依頼や人員の必要性に応じてそれぞれの現場に赴くことになります。何があるかは日替わりです。ご参考までに昨日発表された原町区の5/20の作業予定を一例として掲示します。

☆ 流出物の洗浄・展示   3件
☆ 避難所の運営補助    1件
☆ 託児所の運営補助    2件
☆ 物資の仕分け       1件
☆ 物資の搬入        1件
☆ ガレキの撤去       3件
☆ シート貼り付け      1件

その他、毎日報告がUPされていますので最新情報、ご確認ください。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/theme-10035284793.html

鹿島区での作業はまた原町区とも異なっており、瓦礫の撤去作業は5/16に依頼分の作業が終了し、復旧から復興支援へと活動がシフトしていくとのことです。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/entry-10893081619.html

なお、5月24日(火)~27日(金)で予定されていた『仮設住宅入居準備』の作業は延期になったとのことなのでご注意ください。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/entry-10897160780.html

専門知識、資格などもあればあったに越したことはありませんが、ないからといってその人間が不要であるというようなことはありません。基本的な宿泊、食事、移動の手段を自己完結でき、必要装備を用意できるのであれば人手が必要な場所はまだまだあります。現地を見もせずに一般論を振りかざしてあれこれ批判する人もいるようですが、そういった手合いはさっさと無視して現地とのやり取りでニーズを押さえて活動すればよいと思います。


○必要装備
何はともあれボランティア保険に入ってください。天災タイプです。そして保険証もしくはコピーを必ず持参してください。現地でも入れるとのことですが、受付に時間がかかるため、極力出発前に入るようにしてください。

瓦礫撤去の際は中敷に鉄板の入った安全靴タイプの長靴は必須。現地は品薄の場合があるので、出発前に入手できればベストです。しっかりした厚手の作業用ゴム手袋、濡れてもいい服装、タオル複数枚、帽子は各自準備したほうがよいです。下記リンク参照。帽子、防塵マスクは現在南相馬のボランティアセンターでも支給されています。もちろん自前のものがあればよいです。

特にこのところ非常に暑くなってきています。完全防備で野外の作業をする場合は脱水症状、熱中症などに細心の注意を払う必要があります。それら自体も危険ですが、元々足場や作業環境は劣悪なため、事故にも繋がります。

水害ボランティア作業マニュアル:
http://www.saigaivc.com/app/download/3819477115/suigai-manual.pdf?t=1302414307

それ以外の作業を希望する場合は特に上記装備は必要ないことも多いですが、要確認。ゴム手袋、防塵マスクは多くの作業でも必要になってくるので一揃い持参したほうがよいです。

他、必要と思われるものでは、非常用の保存の効く食料、水、寝袋、毛布、着替え、防寒具、雨具、洗濯用洗剤(コインランドリーはかなり開いています)、筆記用具、洗面具一式、懐中電灯、ラジオ、食器等。キャンプ装備があれば丸ごと持ってくると便利。


○支援物資
支援物資はボランティアセンターでは受付終了しているようですが南相馬市役所では団体からの支援に限り受け付けています。
http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/shienbussi.jsp


なお、本日付として下記の通り情報が出ています。仮設住宅への入居に関して発生している支援要望です。

◎特に不足しているもの (5月20日現在)
・衣類
 夏用上着(Tシャツ、ポロシャツ等) ※新品に限らせていただきます
 夏用下着(ランニングシャツ等) ※新品に限らせていただきます
・寝具
 敷布団、シーツ、タオルケット、夏用掛布団、枕
 ※5月末から入居が始まる仮設住宅用として、上記の寝具類2,000セットを集めています。

また、市役所やボランティアセンターレベルではなく、民間団体、NPO等が独自の活動の上で必要物資を募集している場合があります。個人での支援要請等もあり、web上にはいくつかサイトがあります。

311 HELP.com
http://311help.com/

ふんばろう東日本支援プロジェクト
http://fumbaro.org/


○宿泊
4月26日現在での宿泊可能ホテルが公表されています。
http://www.minami-soma.com/kanko/modules/d3blog_2/details.php?bid=11
車中泊等をお考えの方もいらっしゃるかと思いますが、その場合はmixiの南相馬市コミュ等で議論がされていますのでご参照いただけるといいかと思います。なお、原町区ボランティアセンター敷地内での車中泊は禁止となりました。

原町区のサッカー場でのテント泊が可能になりました。詳細は以下ブログから。それ以外も車中泊の話なども載っています。
http://blogs.yahoo.co.jp/minamisouma_ouen

鹿島区にテントを持たないボランティア用にテント村が設営されています。トイレ、炊事場等利用可能で一泊100円なのでかなりリーズナブルだと思います。
http://ameblo.jp/minamisomasakura/entry-10883478494.html

他にもオフィシャルではなくてもスペースを提供されている方、組織もおられます。ボランティアセンターからの斡旋はできない決まりになっているようなので公的には情報は出ていないかもしれませんが、事前にあちこちチェックしてみることをお勧めします。


○食事・買い物
現在、鹿島区、原町区共に商店、レストラン、スーパー等が再開しつつあります。セブンイレブンはほぼ全店営業中(ただし、品薄の品目あり)、現地資本のスーパー、フレスコキクチも鹿島店では既に営業中。原町区でも営業再開しました。とても賑わっていて、品切れなども起こる気配はありません。ヨークベニマル、イオンモール等も再開済み。

個人商店、食堂等も日ごとに再開している店舗が増えていますので、緊急用の非常食、飲み物等を用意する必要はありますが、現地で購入、食事ができます。復興支援のためにも買占めにならない程度で買い物をするのがよいかと思います。

原町区の駅前エリア、肉屋、魚屋、ラーメン屋、喫茶店、Bar、靴屋にワークショップまで日に日に開けてきています。Coco’sも開いているのを確認。いい流れになっていますがまだまだ客足は少ないとのこと。ご協力よろしく!


○移動
現時点で関東方面から南相馬市へのアクセスは東北道二本松ICから国道4号線→松川で県道51号線→国道114号線→川俣町で国道349号線へ→県道12号線で南相馬市原町区。渋滞がなければ宇都宮ICから4時間程度で到着。鹿島区へはそこから県道120号線もしくは国道6号線で12km程北上。いわき方面からだと国道399号線を通るルートが飯舘村まで通れています。放射線量の高いエリアもありますので自己判断でどうぞ。

ガソリンスタンドは概ね平常営業に戻っているようです。若干値段は高めですが、給油量の制限などは特に聞きません。

ボランティアセンターのHPにアクセスについての記述ができましたのでご参考に。
http://minamisoma.jimdo.com/%E6%A6%82%E8%A6%81-%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9/


公共交通機関の使用を考えている方は、現在福島市のJR福島駅東口から南相馬市までバスが出ています。
http://www.fukushima-koutu.co.jp/bus/pdf/20110513_smfs.pdf

東北新幹線も再開していますし、全国各地から福島市行きの長距離バスも運行されていますのでご確認ください。ちなみに関西からのアクセスでも夜行バスで5~6000円程度から数便あるようです。
http://www.bus24.jp/kansai/kyoto/kyoto-fukusima/
[PR]
by djsinx | 2011-05-20 14:44 | 震災関連

震災後の今、経済を回すということの意味

震災から一月が過ぎる頃から徐々に自粛ムード、と言われたものは薄まり始めたように感じた。計画停電など実際上の要請で自粛せざるを得ないものもあったと思われるが、「なんとなく申し訳ないから」という気分的なところから生じた自粛は、花見シーズンで各個自分達のお花見イベントという形で向き合ってそれぞれに考えを深めることもできたのではないかと感じた。

ただ、それでも観光業、飲食業、娯楽業の中では倒産の話も相次いでいるし、下記ライヴハウスのように大変な経営を強いられているところもある。もちろん節電は意識しなければ行けない。自分の仕事が何らかの影響を受けてそれが賃金に響いているのであれば節約もしていかなければならない。そういった状況の人は多いと考えられる。東日本の多くの人は程度のこそさえあれ被害は受けている。

そういった時に、やはり経済を回していくということの大切さを考えさせられる反面、「どのように回していくか」というところにも焦点を当てていかなければならないのではないかと感じる。要するに、お金の使い方だ。果たして今まで通りの生活を目指して日常に復帰していくということが目指すべき、望ましい姿なのだろうか?個人的にはそうではない、そこからもう一歩踏み出して各自の生活を汲み上げ直さなければならないのではないかと感じている。


問題になるのは意識的なお金の使い先の選択。どこで何にどのようにお金を使うのか。そのお金がどう回り、どこに行き着くのか。そこに意識的になること。その一つ一つを分けて考えることは難しい。それぞれが様々に結びつき、絡み合っているからだ。

例えば余暇を何に使うのか。東北に遊びに行くというのも選択肢だ。ボランティアに行くというのも選択肢だ。東北の旅館やホテルに泊まる。現地の食堂で食べる。地元の商店街で買い物をする。名産品をお土産にする。ただ、それと同時に箱根でも旅館が倒産しているように、業界全体としても打撃を受けている場合は東北以外の場所を選ぶのももちろん選択肢として有効になってくる。

そこで何を選び、どこにお金を使うかはそれぞれの趣味、嗜好等に大きく拠ってくることになる。山が好きな人は山に登り、釣りが好きな人は磯や渓流に出かけ、映画ファンは映画館に足を運び、音楽好きはライヴハウスやクラブに行く。自分の好きなもの、ことに対して人はお金と時間と労力を使う。そうやって使ったお金が実際にどうなっていくのか。被災地に義捐金として回るのか、その業界を活性化させ、雇用を守り、経済を回していくことになるのか。

どれがよくてどれが悪いという話ではない。想像力を使い、お金の行き先、回り方を考えた上で納得して使うようになることが必要だと考える。例えば今、南相馬市では多くの商店やスーパー等が再開し始めている。ボランティアに来る人に対しても、最低限の非常食はともかく、南相馬市内でできるだけ買い物をして地域経済の支援をして欲しいという呼びかけがある。このような時、ボランティアの一般論にあるように自己完結ということを優先して全てを事前に別の場所で準備してしまえば南相馬市にお金は落ちない。

これは極端な例ではあるが、情報を自ら集め、考え、想像力を働かせることによって、ある程度までのお金の行き先を辿ることはできる。ただ価格だけを見て消費する、従来型の消費者でいてはもういけないのかもしれない、と私は思う。


もう一つ大きな問題は持続性だ。この記事のメインテーマでもあるように、チャリティ、ボランティアというのは非常に聞こえがいい。実際とても重要なことであると考えている。でも、それだけでは、特に今回のように長期的なケアが必要な災害の場合には追いつかない。阪神大震災では津波がなかったこと、京阪神の一角という都市部での直下型地震だったことで、立ち直りのスピードが今回の震災と比べたら非常に早かった。東日本大震災は巨大な津波が発生したこと、被害を受けた範囲が非常に広いこと、原発問題の先が見えないこと、過疎地であり、経済的に困難を抱える自治体が多いエリアだったことなど、復興までにかかる時間が非常に長いことが予想される。

そんな中で、チャリティ、ボランティアの存在だけでは切り抜けられない状況が生じてくる。支援側も人間であり、生活しなければならない。支援者が自らの生活を立てながら、被災地への支援が続けられる環境というのが様々な場面で求められているし、今後も求め続けられるだろう。このライヴハウスで言えば、操業に必要な資金が調達でき、スタッフに賃金が正当に支払われるという状況を持続的に確立していくということだ。

支援者が支援をしながら生活していける状況、というものも支援していかなければならないのではないだろうか。もちろん費用対効果というものは重要にはなってくるが、十分な効果の見込めるものに対しては積極的に勧めていった方がいいと考える。

「一人の一億円より一億人の一円ずつ」という言い方を聞いたことがあるけれど、これの意味は「興味、関心を持っている人数の多さの重要性」だ。もし今は一円であったとしても、そうした厚い層を持っているということは将来的、継続的に一定の支持を期待できるということでもある。そうした多種多様な関心を保持できるという意味で、支援者への支援、というものは考えるに値するのではないだろうか。

ボランティアの受け入れ態勢が長期的に整って周知されていること、そしてこうしたライヴハウスが継続的に経営を回しながら支援の枠組みと可能性を保持し、集客し続けていくということはそうした一例になるだろう。恐らくそうした中でNPO等の組織や、そうした組織による大きな組織化なども有効かもしれない。

そこに前例はないかもしれない。でも、未曾有の大災害であるこの東日本題震災に対して、自ら考えてそうした枠組みを生み出していくという動きはあって然るべきなのだろう。



--以下引用--

「客足戻らず......」震災2カ月 チャリティーと経営の間に揺れるライブハウス事情

新宿LOFTに設置された募金箱。

 3月11日に発生した東日本大震災は、音楽業界にも多大な影響を与えている。復興イベントやチャリティーイベントが続々と開催されているが、本来行われるはずだったライブの連続キャンセル、計画停電や世の中に漂う自粛ムードによって、音楽業界を支えるライブハウスの経営が危ぶまれているのだ。

 GLAYなどを育てたと言われる老舗ライブハウス・神楽坂エクスプロージョンの小嶋貴氏も、ライブハウスの現状を憂う。

「店舗そのものに大きな被害はありませんでしたが、3月11日から1週間ほど全公演がキャンセルになりましたね。今までにない状況だったため、"こういう時にこうすべき"というガイドラインもない混乱した状態で、いくら店舗やイベンター側がライブをやりたくても、お客さんのことを考えると中止せざるを得ない状況でした。入る見込みだった売り上げが全部断たれているわけですから、その一週間の金銭的なダメージは大きいです。スタッフへのギャラもライブごとに払っているので、ライブがキャンセルされてしまうとそれもなくなってしまう。東北の方々の方が大変といえばもちろんそうなのですが、正直苦しい状況です」

 また、業界全体が「ライブイベントをするならチャリティーで」という空気になっており、それ自体はむろん好ましいことなのだが、会場やミュージシャン側もノーギャラというイベントが続いた場合、経営に響きかねないという問題が出てきてしまう。

 震災直後から、精力的に復興チャリティーライブを行っていた新宿LOFT店長、大塚智昭氏はこう語る。

「チャリティーライブをやるときに最初から考えていたことは、"アルバイトにはきちんと給料を払いたい"ってことでした。批判もあるかもしれませんが、こちら側の収益がないとダメだ、と。『チャリティーだから会場使用料も無料です、お金は募金箱に入れてください』と言ってしまうと、要は会場で働いている人が完全にボランティアになってしまうわけで、そうすると従業員が食えなくなってしまう。だから出演するアーティストにも、『収益の半分は募金して、もう半分は会場使用料にして、その中から出演者皆の最低限の出演料と交通費も出したい』という企画意図を伝えました」

 そういった意図の下、震災直後に救助の手が回っていなかった北茨城にスポットを当てたイベント「LIGHT UP IBARAKI」(水戸ライトハウスと共同開催)で集まった募金と救援物資は水戸ライトハウスを通して北茨城の被災地へ送られた。

 また、震災から2カ月がたち、都内のライブハウスは通常営業にほとんど戻りつつあるようだが、まだまだ停電や大規模な余震の可能性も残る今、ライブハウスはどのように対応しているのだろうか。

「今はキャンセルされた公演の振り替えや、通常通りのスケジュールでライブを行っています。節電に関しては照明の数を減らしたり、外の看板の電気を落としたりして対策をしています」(神楽坂エクスプロージョン・小嶋氏)

「一番怖いのが、ライブの最中にパニックが発生すること。例えば、緊急地震速報がお客さんの携帯に入って、皆が一斉に外へ出ようとして事故が起こるようなケース。なので『余震があっても慌てないで、こちらの指示に従ってください」と前説を入れる場合もあります。ウチは地震があっても照明などが落ちてこないようにシッカリ補強しているので、それよりも慌てて外に出ることの方が危ないですから」(新宿LOFT・大塚氏)

 しかしながら店舗側がいくら余震対策等をしていても、まだまだ都内も"普段通り"とは言えない状況。客足の方も、震災前と同様に、とはいかないようだ。

「震災以降、前売りチケットがほとんど売れていないんです。僕たちの企画力の問題なのかもしれませんが、まだ"来週好きなバンドのライブがあるから行こう"という気分になってないのかも。電車や電気もいつ止まるか分からない状況ではこちらとしても動員も読めないし、相当しんどいです。ただ、震災発生当日の3月11日に電車が止まって帰れなくなった人の受け入れをやっていた時、普段ライブを見ないような人やしばらくLOFTから足が遠のいていたという人も来てくれたみたいで、そういう人たちがまたライブを見にきてくれるとうれしいですね」(新宿LOFT・大塚氏)

 非常時に打撃を受けやすい娯楽産業、さらにその中でも音楽業界はもともと不況が続いている。ベテランから若手までミュージシャンたちはこぞって被災地支援に乗り出しているが、彼らを育て支えてきたライブハウスが今後どうなっていくかは案外、業界の鍵を握っているかもしれない。
(文=藤谷千明)
[PR]
by djsinx | 2011-05-12 18:17 | 震災関連

南相馬市の状況変遷。そこは「今は」ゴーストタウンではない【4/20~5/3の記録】

恐らく全ての被災地について言えることかとは思うが、地震と津波に加えて原発事故の影響も強く受けることとなっている南相馬市の模様も、時々刻々と移り変わっている。そこで何が起き、何がどのように動いて行っているのか、その詳細は遠くから眺めただけでは分からない。当然、誰かによって編集、演出された「報道」を鵜呑みにするほど愚かしいこともない。

無論私が今こうして書いている文章も、一人のボランティアから見た南相馬市の情景であり、そこには意識的にせよ無意識的にせよ編集と演出という操作は入り込んでくる。可能な限りバイアスを取り除きたいとは考えているが、例えばコップに半分はいった水を「まだ半分もある」と表現するか「もう半分しかない」と表現するかによって印象が変わるように、完全には払拭できないことは最初から認めねばなるまい。なのでむしろ自分の印象、心情、感想を語るときには可能な限りそれがそうと分かるように努めるつもりだ。その上で、数多くある情報のうちの一つとして「参照」してもらえればと思う。

最初に、訪れて文章を記している自分のことを一通り伝える。背景や目的を伝えることで私という人間のバイアスを掴みやすくなると考えるからだ。私はこのブログのトップにも書いているように、3年4ヶ月の世界放浪を終えて今年の3月末に帰国した。帰国理由は地震ではなく別の個人的事情による。その事情にある程度目処がつき、帰国後の新しい職を探す前の空白の時間帯を利用して大震災に対して何かアクションを起こしたいと思い、南相馬市でのボランティアに向かうこととなった。南相馬市を選んだのは県外ボランティアを受け入れていた、数多くない自治体の一つだったということ。そして原発問題、放射能への危惧があって、仙台や石巻に比べてこの地を訪れるボランティアの数が比較的少ないということを知ったためだ。

そして実家の栃木県から、一通りの装備を携えて4/20に南相馬市へと赴いた。ボランティア参加の詳細については別記事に掲載してあるので興味のある方はそちらを参照して欲しい。
http://sinx.exblog.jp/16259690/


4/20
この日は朝4時半に栃木県を出発し、東北自動車道二本松インター経由で南相馬市鹿島区に向かった。前夜からの悪天候の制で飯舘村付近は真っ白な雪に覆われていた。避難所での寒さ対策の難しさの話などを聞いていたので非常に心配になる。峠は無事に越えることができ、南相馬市に到着することができた。

鹿島区の中心は原発から31kmを越えた辺りに位置しており、屋内退避・自主避難区域から外れていたため少ないながらも車の往来はあり、若干の個人商店、それにセブンイレブンは開店していた。それでも閑散としていて閉まっている店の多さをひしひしと感じることとなった。この日瓦礫撤去にお伺いしたお宅も30km圏内ぎりぎりの位置にあった。この時点では30km圏内のボランティアによる瓦礫の撤去は許可されておらず、そのため中心部の原町区ではなく鹿島区での作業がメインになっている。

ボランティア終了後原町区の知人宅に向かう。6号線を南下すると道路のすぐ脇に船が流されてきて座礁している光景を目にする。それでも海から3kmあるせいか、6号線を越えて津波の被害を受けているエリアは南相馬市ではほぼ見ていない。車の往来はそれなりにあるが、30km圏内に入ると個人商店も含めてほとんど閉鎖されている。一軒開いていたトンカツ屋には車が何台も止まって食事をしている姿が見えた。原町区に入って見かけたダイユーエイトは食品部門が閉鎖され、営業時間が短縮されていたがそれでもホームセンター部門は開いていた。実際自分の家が被災すれば必要な物はたくさんあるはずだ。

原町区内の商店、スーパー、レストラン等は軒並み閉店。まだ黄昏時だというのに車の往来もほとんど見られず、ゴーストタウン状態だった。


4/21
再び鹿島区で瓦礫撤去を行う。この日も街の様子はほぼ変わらず。車の往来はやはりある。知人の話だと20km圏内の自宅に物を取りに帰ったりといった理由で避難所や避難先から来る人が結構いるのだという。

ボランティア後、同じ班のメンバーに連れられて、相馬市との境に近いラーメンショップに行く。ここは営業時間こそ短縮されているけれど営業している。あつあつのラーメンを食べることができた。

また、鹿島区のフレスコキクチという現地資本のスーパーが開いていた。南相馬市で唯一に近いのではないかと思われる開店中の大型スーパーのため、非常に利用客が多い。中に入ってみても、震災直後のように陳列棚が空っぽ、ということは一切ない。「がんばろう南相馬」の張り紙がなければどこにでもある日常風景と見分けがつかないほどの品揃えだった。値段については手元のレシートを見ると

・エリンギ 78円
・ブロッコリー 68円
・とまと(中玉) 158円
・小松菜 158円
・コロッケ 1個50円(がんばろう南相馬特価)
・お刺身用赤味カツオ解凍 153円(本日のオススメ品)

と、悪くない価格であると感じる。通常のこの辺りの物価を知らないので大きなことは言えないにせよ、どれも食べて美味しかったことは付け加えておく。

6号線は夜になっても車の往来はそれなりにある。店はまだまだ閉まっている。ただ、一つ難を言えば6号線上23km地点にあるヤマダ電機テックランド福島原町店の看板の明かりが営業もしていないのに全力で煌々と照っているのはやめて欲しいと思った。節電しろと言いたいのもあるが、一縷の望みをかけて空っぽの駐車場に飛び込んだときの落胆といったらもう、裏切られた気持ちでいっぱいである。

この日、知人宅に戻ると当日の深夜12時をもって20km圏内が警戒区域に指定され、立ち入りが全面禁止になることを知った。


4/22
この日、20km圏内が警戒区域に指定されるのと同時に20km~30km圏内に出されていた屋内退避・自主避難の指示が解除された。それと同時に南相馬市内の同エリアの多くが緊急時避難準備区域に指定され、南西部を中心に、飯舘村に近い山間部が計画的避難区域に指定された。30km県外のプレーンなエリアと併せて、南相馬市内にはこれから四つの区域が同時に存在することになった。

この日は雨で瓦礫撤去ができないため、知人に街を案内してもらうこととなった。6号線から東、海岸沿いに向かうと高低差や地形に応じて状況はばらばらだが、やがて津波に襲われた場所に出る。報道で繰り返し繰り返し見てきた景色だが、実際に目の当たりにするとその凄まじさには言葉を失う他はない。全てが押し流され、瓦礫と化し、分厚く泥を被っている。家々の跡は判別もできず、田園は濁った海水の沼になっている。

その真ん中をどうにか瓦礫を避け、復旧された道が走っている。自衛隊車両、警察車両、作業車両、一般車両、数こそ多くないが様々な車を見る。雨の中でも自衛隊は遺体捜索を行っている。一列に並び、棒を持ち、沼地を探っている。様々な自衛隊論があるかもしれないが、ここで見た彼らとその働きに対しては尊敬と感謝の念以外はあり得ない。

海岸沿いの被害は北上し、相馬市にまで変わらず続いている。途中何度かある丘陵地にある家は、瓦が落ちたり塀が倒れたりこそしているものの軽微な被害で済んでいるものが多い。もちろん、インフラが切断されていればそこに住み続けるのも容易なことでないだろう。実際そうしたエリアもあちこちに見受けられた。

相馬市は放射能の問題が南相馬市に比べて遠いためか、復旧は順調に進んでいるという。港湾部の津波の被害は甚大だが、中心部には車が溢れ、人の姿も南相馬市に比べたら遥かに多い。店もレストランも多くが営業を再開している。ボランティアの数も全然多いようで、順調に復興が始まっているという印象を持つ。


4/23
この日も雨のため、24km地点の原町区のボランティアセンターでボランティアの口を見つける。遺留品の展示業務を行うこととなった。原町区内の会場で作業をしていて、昼食時にどうやら近くの商店街の焼肉屋がランチ営業を再開するという話を聞く。

行ってみると、メニューを制限し、ランチ営業だけだけれど、今日から再開したという。まだまだ人気のない商店街、支援になればと美味しくいただいた。




そして、この頃から徐々に街の雰囲気が変わり始めた。

車で街を走っているときに八百屋や肉屋といった個人商店が日に日に店を開け始めた。洋品店、靴屋、喫茶店にラーメン屋、Barまで一日ごとに新しく開いている店を見つけることができるようになっていった。

やはり、「屋内退避・自主避難指示」の解除が大きかったのではないかと地元の人は言う。それまで屋内でなにもできなかった人たちが表に出始め、近隣の市町村に避難していた人たちがこれをきっかけに地元に戻ってきたという。実際に、一時は7万人の内、1万5千人しか残っていなかったという南相馬市の人口は、5月頭には3万人から4万人にまで戻っている。罹災照明等、必要書類の申請のために人々が戻ってきて、市役所前には行列ができるほどになった。4月末には郵便配達のバイクも再び見られるようになった。日常生活が一つずつ南相馬市に戻ってきているように感じた。

そして、25km地点のフレスコキクチの原町区の店舗も4/29に営業を再開した。30km圏内の大型スーパーの営業再開は初めてのはずだ。もちろん棚にはしっかりと商品が並び、多くの買い物客が訪れた。この日はGW初日ということもあり、ボランティアセンターは県内外からのボランティアで溢れた。避難していた人もこの時期に続々と戻ってきたり、一時的に南相馬を訪れたりしていて、市役所付近は渋滞さえ起こるようになっていた。市役所駐車場の入り口には「満車」の看板を持った警備員が常駐するようになっていた。

地元資本のレストランや個人の店はどんどん営業を再開する一方、大型チェーン店はそれでもまだほとんどが沈黙を守っていた。レストラン、ファーストフード、電器店、洋品店等、6号線沿いの多くの巨大店舗は空っぽのままだった。コンビニもセブンイレブンを除いてはどこのチェーンも営業を再開していない。そんな中でようやくGWに入ってCOCO'sが営業を始めた。

そして、GWの半ばから終わりにかけて、5/4にヨークベニマルが、5/6にはイオンモールが営業を再開したという。イオンモールに関してはモール内のジャスコで、NPOとボランティアの手で地元の声を伝える番組「いっとこ/南相馬チャンネル 」が連日放映されている。
http://sinx.exblog.jp/16306792/





ただし、だからといって南相馬市が「復興」へと舵を切ったと言い切ることは全然できない。この街には最初にも述べたとおり、原発、放射能問題、という特異な要素が絡んできている。それにより現在20km圏内の地域は立ち入ることさえできず、30km圏内も現時点では日常生活を送れるかもしれないけれど、何か事態が変化したら急ぎ避難しなければいけないというのが日々の状況として存在している。

そのような中で、腰をすえて南相馬市で仕事をし、生活をして復興へと全体重をかけて臨めるのか、というのが大きな問題になってきている。さらに五月末までに避難を行うように勧告されている飯舘村は南相馬市の西に当たり、このエリアが五月末以降どのように運用されるのかもまだ決定事項としては周知されていない。もしここが20km圏内と同じように立ち入りが禁止、制限されたら?それは南相馬市の物流にとって非常に大きな痛手となる。

実のところ、福島市や郡山市の三分の一程度しかない放射能の危険性よりも、原発問題全体が南相馬市で生きる、という生活上の選択そのものを圧迫していると言ってもいいかもしれない。このまま南相馬市にいることで、生活していけるのだろうか?暮らしが成り立っていくのだろうか?それはただの茫漠とした「不安」などではない。実際上の不確定要素なのだ。原発がどのように、いつ頃収束するのか。そもそも収束するのか。東北道へと続く飯舘村、川俣町には入れるのか、そして来年以降の農業は制限されるのか。あまりにもそうした要素が多い。

今何とか南相馬市は踏みとどまり、踏ん張っている。でも、そこにかけられる力は原理的に他の被災地とは違う。どんなに南相馬市民が力強く、粘り強く踏ん張ろうとも、その地盤が全く安定しないのだ。原発事故は事故が起こってそれで終わりではない。長い長い始まりなのだ。そして状況は連日変化していく。もしかしたら明日にも大きな変化や指示があるかも知れない。それは、南相馬市民には分からないことだ。

だからこそ国民レベルで見れば息の長い、継続的な支援が南相馬市には何よりも大切であり、政府としては迅速で明確な支持とそれに対する責任あるサポートが必須となる。


現状について私の知っている限りのこと、考えたことを記した。だがそれも一週間前までの状況をベースにしたものであり、最新ではない。例えばGWが終わり、あれだけ集まっていたボランティアも再び数が減っている。これからも数は減るだろうし、それによって変わってくる状況もあるはずだ。あくまで参考として、この文章が役に立てばと考えている。そして誰か一人でも、南相馬市のこの現状に対してアクションを起こす人が増えればと祈っている。
[PR]
by djsinx | 2011-05-10 12:56 | 震災関連