<   2011年 05月 ( 12 )   > この月の画像一覧

『100,000年後の安全』レビュー。これはいわゆる脱原発映画ではない。

福島第一原発問題に絡み、話題になっているドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』を鑑賞してきた。フィンランドに建設される高レベル放射性廃棄物の最終処理場の話だ。始めてこの施設の中にカメラが入り、撮影したという。

最初はこの映画はいわゆる「反原発」もしくは「脱原発」の文脈で作られた作品だろうという頭で見始めた。題名やどこかで見た作品紹介のせいだろう。でも、実際に鑑賞してみて、この作品はそうした文脈とは一線を画していることに気が付いた。まず、この映画の原題は『INTO ETERNITY』である。安全がどうという話としては提示されていない。「永遠」という言葉が最初に現れるのだ。

フィンランドの安定した地層に掘られた巨大な地下施設。フィンランド語で「隠し場所」の意味を持つオンカロと呼ばれる最終処理場は現在建設が進められ、フィンランド国内の核廃棄物を最終的に保管する場所となる。2100年に満杯となり、コンクリートで固く封じられ、二度と開けられることがなくなるということだ。

そこに保管される核廃棄物が最終的に安全な状態になるには少なくとも100,000年が必要となる。それまでの間、いかに安全にそれを保管しておけるか、ということについて様々な討議が重ねられ、オンカロが建設された経緯を多くの関係者達が証言する。宇宙に打ち上げる計画、海に沈める計画、どれも環境への汚染が発生する可能性があったため、最終的に地下深くに永遠に葬り去ることに決めたのだ。

そこで一番問題になったのは、自然ではなかった。未来の人間なのだ。私達人類は100年後の未来さえまともに見通すことはできない。1900年に描かれた21世紀の予想図を見てみればいい。誰一人インターネットの存在なんて想像してもいなかっただろう。それに、文明というものは興れば滅びるものなのだ。古代ローマ帝国やモンゴル帝国ですらそうだったように。ヨーロッパの歴史を見てきたフィンランド人たちはそのことを深く理解している。

よって、未来の人間達は現代の我々の知恵、技術を受け継いでいない可能性が十分に考えられる。戦争が起こり、経済的な破綻が起こり、国家の地図が塗り変わり、世界の情勢が激変し、多くの情報が失われることはあり得ることなのだ。100,000年という、ピラミッドができてから現在までの歴史の、20倍もの時間の中では。この映画はそういった時間軸に沿って語られていく。だからこそ彼らは、人の手に委ねない、永遠の墓所を作ったのだ。


どうやって未来の彼らにそのことを伝えてゆけばいいのか、そもそも伝えるべきなのか?結論は堂々巡りを繰り返す。現代の複数の主要言語で注意書きをしたモノリスを作る。まるでロゼッタストーンのように。それかいくつかの図柄とイメージを組み合わせて非言語的に示す。まるで未解明の古代遺跡のように。それか、全く忘れ去る。「忘れなければならないということを決して忘れてはならない。」という言い伝えと共に。

そして、私達は気付くことになる。視点を100,000年後に置いたとき、ムーやアトランティスの伝説のような『滅びゆく超古代文明』の立場に我々現代人が立っていることを。我々が残す高レベル放射性廃棄物は、いわば超古代文明が残した遺産とも呼べる存在なのだ。人間のタイムスケールから見たら永遠にも近い歳月を経て、未来の人類の住む世界に確実に存在し続ける。

永遠に封印された暗い地下墓所。そこに眠る恐ろしい力を持ったなにものか。言い伝えを聞いた未来の人類達は何を想像するだろうか。魔剣?龍?魔王?それとも途方もない財宝を守るための作り話?今の人間達がピラミッドを始め数々の遺跡を掘り返しているように、人類が人類である以上は好奇心に駆られてその封印を破るかもしれない。そして高レベル放射性廃棄物を見つけ出すかもしれない。核兵器は作れなくても、それは強力な毒なのだ。

つまりは、我々が見ているのは神話の世界なのだ。それも、これから起こる未来の神話だ。そして、オンカロの管理者、そしてフィンランド政府は神話の素を作ろうとしている。あくまで結果としてだが。我々はもう、その次元まで踏み込んでいるのだ。原子力が人間の力を超え、神の領域に入り込んでいると主張する時、それはまさにこのことを指している。

さらに、現在の高レベル放射性廃棄物の全てをここで処理できるわけではない。30万トンに近い廃棄物が既に地球上に存在する。それを処理するには各国にいくつもの最終処分場が必要になる。それはオンカロのような封印された墓所が未来に渡り、地球のあちこちに散在することを意味する。放射性廃棄物を無害化することはできないし、放っておいてなくなることは決してない。我々人類がどうにか処理しなければならないのだ。

そういった意味で、原発に対して推進派であるか反対派であるかはこの映画では大きな違いではない。どれだけ反対しようと、現代の人類が生み出した放射性廃棄物は既にそこにあり、それは我々全てが未来に対して負っている責任だからだ。推進か反対かはこれ以上増やすか増やさないかの違いでしかない。そういった意味で、この映画は全人類が見るべき作品と言える。誰も逃げ出すことはできないのだ。

このオンカロこそは世界遺産の筆頭に加えられるべき施設と言っていいのかもしれない。人類史上最も長く存在し続ける、現代に生きる我々が未来に残すことになる、真の意味での遺産なのだから。それが負の遺産なのか、どうなのかは未来の人類が決めることになる。でもそれはまた別の物語。我々が語ることはきっと永遠にないだろう。


“原子力は人間に扱えるのか”『100,000年後の安全』配給のUPLINK 浅井隆さんインタビュー(Excite Bit コネタ) - エキサイトニュース
[PR]
by djsinx | 2011-05-31 11:59 | 震災関連

ジャガンナート君をして「インドの祇園祭」はねーよw

この記事、笑ってしまうほどものすごい強引な力技である。

「もちろん場所もインドであるし、太陽はギラギラと照りつける。山車を曵くのもインド人のおじさんたち。雰囲気は当然だが京都! ではなく完全にインド……。だが、想像してみよう。仮に場所が日本で山車を曵くのも日本人だとしたら……。山車の形は少々違うが、まさに日本の祇園祭ではないか!」

この下り、「完全にインド」と言い切ってるのにまだ祇園祭を引っ張り出してくるとはwwちなみにジャガンナート君はプーリーのジャガンナート寺院ではこの記事にあるように「異教徒立ち入り禁止」なのでこの時しか見ることはできないが、同じオリッサ州のコーラプートにあるジャガンナート寺院に行けばいつでも好きなだけジャガンナート君を拝むことができる。入場料は無料。入り口で少々バクシーシ(寺院への正式なドネーションね)を渡せばいい。それで何百体というジャガンナート像があるので思う存分見放題である。ジャガンナート君のファンには嬉しい限りだ。
http://sinx.exblog.jp/14070140/

そして正直言って7月のインドはヒマラヤを除いて暑い。雨季に入っていれば5月辺りよりはマシだけれど、ここのところまともな雨季が来ない場合も多いので、熱中症で死ねるレベルであることは十分すぎるほどあり得る。2010年5月のデリーで48℃という話もデリーっ子から直接聞いたので参考にするといいと思う。まあ、マジキチである。デリーっ子ですら「暑すぎてぶっ倒れそうになるぜ」、と嘆くレベルだ。

正直この時期には例の日本人宿でうだうだしているのも長老クラスのリアル廃人くらいだろう。だったらさっさとヒマーチャルの某所にしけこむか、ラダックに上ってラマユルやへミスのフェスティバルを見に行ったほうが楽しいと思われる。
http://sinx.exblog.jp/12048227/

--以下引用--

今夏はインドで祇園祭に参加しよう(Excite Bit コネタ) - エキサイトニュース

インドには祇園祭っぽい祭りがあるらしい。こんな噂を耳にしたエキサイト編集部。本当にあるのだろうか思いつつも、疑問を解決するため早速取材を敢行。その真相を探ってみた。

たどり着いたのはインドの東海岸にあるオリッサ州。ヒンドゥー教の四大聖地の一つに数えられるプリーという街。ここで年に一度、ラタ・ヤトラという大きな祭りが催される。内容はというと、市内ジャガンナート寺院の本尊であるジャガンナートが、兄のバラバドラと妹のスバドラーとともにそれぞれ巨大な山車に乗せられて、おばのグンディチャーがいる寺院まで出かけるというものだ。

そもそも「ジャガンナート」というのは、この地方で最も崇拝されている土着神のこと。それが後世にヒンドゥー教に組み込まれて、ヴィシュヌ神の化身としてみなされるようになった。元は土着の神だけに、その容姿も変わっている。黒く丸い体に手足はなく、大きくクリッとした愛嬌たっぷりの目。一度見たら忘れられない顔立ちだ。彼らが鎮座するジャガンナート寺院は、本来ヒンドゥー教以外の異教徒は立ち入りが許されていない。そのため観光客が本尊を拝むことは不可能。しかし一年に一度の、この祭りの期間だけは本尊が境内の外に出るため、彼らを拝顔できるのだ。

現地入りした祭りの初日。ものすごい数のインド人が大通りに集まっていた。まさに黒山の人だかり。祭りがはじまると、各々がジャガンナートの名前を唱えながら、三体の山車を一斉に順に引っ張っていく。もちろん場所もインドであるし、太陽はギラギラと照りつける。山車を曵くのもインド人のおじさんたち。雰囲気は当然だが京都! ではなく完全にインド……。だが、想像してみよう。仮に場所が日本で山車を曵くのも日本人だとしたら……。山車の形は少々違うが、まさに日本の祇園祭ではないか!
ちなみに祭りの見所は、おばのグンディチャー寺院まで曵かれる初日とジャガンナート寺院に帰る最終日。それ以外の日は、グンディチャー寺院内に神様三兄妹はいるので山車は動かない。このラタ・ヤトラ、インドではとても有名な祭りで、日本の祭りのように沿道に屋台も多く出ている。またインドの大手企業もブースを構えており、インド日清食品もカップヌードルを販売していた(インドらしくカレー味でも色々な種類があった!)。

2011年のラタ・ヤトラは7月3日から11日まで開催される。祇園祭の山鉾巡行は7月17日なので、インドで山車を曵いた後、京都でその雄姿を見比べることも日程的には可能。まずは今夏、京都の夏よりもっと暑いインドで、祇園祭的体験をしてみてはいかが!?
[PR]
by djsinx | 2011-05-28 15:39 | News

【5/25付 会場一部変更】思い出の品を持ち主に【南相馬市遺留品縦覧会場】

先日ボランティアで訪れていた南相馬市で担当した現場の一つです。津波で被災された方の家から流出し、発見された写真や賞状、ご位牌等の「思い出の品」を洗浄、展示しております。

南相馬市外に避難されている方への周知がまだまだ徹底し切れていない状況があります。もしこの記事をご覧になった方の周りに南相馬市にて被災され、避難されている方がいらっしゃいましたら、当展示場の件につきましてお知らせ願えれば幸いです。

※会場が一部変更になりました。「小高区および原町区の一部(小沢、小浜地区)で発見されたもの」が馬事公苑 倉庫での展示となります。下記住所をご参照ください。

--南相馬市HPより引用--

 津波で流出した写真や賞状などの思い出の品について、下記のとおり縦覧を行います。
 縦覧のうえ、所有物と確認できた物はお持ち帰りすることができます。

小高区および原町区の一部(小沢、小浜地区)で発見されたもの
○場所:
 馬事公苑 倉庫(原町区片倉字畦原4-1)【地図】
※馬事公苑への入口は南側入口をご利用ください。
○期間:5月25日(水)から当分の間(土日、祝日も行います。)
○時期:午前9時から午後4時まで

鹿島区および原町区(小沢、小浜地区以外)で発見されたもの
○場所:栄町柔剣道場(原町区栄町二丁目42)【地図】
○期間:4月19日(火)から当分の間(土日、祝日も行います。)
○時期:午前9時から午後4時まで

※受取方法:本人確認のできるもの(運転免許証など)を持参してください。
※市で当分の間保管、縦覧し、その後は南相馬警察署に引き渡します。

【環境衛生課 0244-24-5231】

http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/ishitsu.jsp
[PR]
by djsinx | 2011-05-25 22:53 | 震災関連

風評と実害のラインなき境界

福島県の農産物への風評被害が叫ばれて久しい。また、それと同時に子供への年間20mSh/hの被爆限度の撤回を求めるといった実害に対する動き活発になってきている。それらの原因にはもちろん福島第一原発の事故があり、そこから漏れた放射能によってこれらの問題は引き起こされている。

今、この原発事故に起因する放射能問題の大きな難点の一つは、それらが「風評」による被害なのか、「実害」であるのかの判断が決定できず、様々な人の意見の間でぶれ続けていることにあるのではないかと考える。

例えば農作物について、政府の発表した基準値を下回っていれば安全であると考えて売るのにそれが売れないのは「風評被害」なのだろうか?それは政府が発表した基準を妥当なものであると認めた上での議論だ。逆に、子供の被爆限度の問題は、政府が示した年間20mSh/hの基準は有り得ないとして「実害」があるからと撤回を求めている。

この二つの立場は明らかに違うし、もし同じ人が同時にこれらを主張するのであれば政府の見解に対してダブルスタンダードを適応していることになる。ではただちにそう主張する人の論理が破綻しているのかといえば、話はそこまで単純でもないと感じている。それは政府としても安定して、確固たる基準なり方針を継続的に固持し続けているとも言えない状況であるということがまず一点。そして、福島原発の状況が刻一刻と変化している、もしくはその状況が公にされることで、常に一つの方針を固辞することが適当であると言えないことがもう一点挙げられる。

ここまできて文章を打つ手が止まる。正直な話、論理的ではない状況を論理的に説明することなどできはしない。隠蔽であるのか、本当に分からないのかは別問題として、原発の現状について確定的なことが何も言えていないという状況があり、それに立脚して避難なり復興なりのプランが立てられている。それはどう好意的に言っても砂上の楼閣であり、確立された結論には結びつかない。その上に、そこには政治的な判断や意図も加えられるだろう。もしかしたら利権と呼ばれるものも影響してくるのかもしれない。それがどれくらいの割合を占めるのかは分からない。

ただし、そういった複合物から出来上がるものは、輪郭のぼやけた巨大なグレーゾーンだ。それは限りない白から限りない黒まで続く広大なグラデーションとなって福島の上に覆いかぶさっている。数々の放射性物質と同じように。だが、それよりも遥かに広く、どんなマスクをしていようと身体の中に執拗に入り込んでくる。虚と実は入り混じり、判別することも適わなくなってくる。

ここで政府が明確なライン引きをし、責任を持って強制的な指示を出さない限り、被災者はグレーゾーンの中に置き去りにされる。様々な情報が飛び交い、「船頭多くして船山に登る」の例えにあるように、身動きがとれずにスタックする。そして、今起こっているのはそれが徐々に徐々に、日常化していくということだ。

それは危険なことだ。恐れるべきを恐れず、恐れるべきでないものを恐れてしまう。さらに、大きな問題なのは、それが実際に恐れるべきものなのか、そうでないのかが目には見えないということだ。恐らくは何年、何十年後にしか分からないということだ。そういう、見えないものと私達は今戦っている。

可能な限り最悪を想定して迅速に対処すること。それが危険に対する最善の態度ではある。だが、今回のこと場合に関して言えば、何が最悪なのかすら分かっていないのだろう。そして、考え得る最悪を想定していけば、福島市、郡山市までが避難を余儀なくされるのかもしれず、数十万人の避難民を出し、東北への物流の背骨を失うことは政府としては選択できないのかもしれない。

だとしたら何ができるのだろうか?明確な答えはない。ひたすら逃げるという個人的な選択肢もあり得るのだろう。気にしないのも一つの手だろう。どうした道を選ぶにせよ、そこには自ら考えて判断する、という行為が何より大切になってくる。今までそういう教育を受けてこなかった日本人の多くにとっては非常に困難な事態なのかもしれないが。




--以下引用--

チェルノブイリ級の土壌汚染も 原子力委に専門家報告

 国の原子力委員会は24日、定例会議を開き、福島第1原発事故の対応を討議した。専門家として招かれた原子力発電環境整備機構フェローの河田東海夫氏(原子力工学)は放射性物質による土壌汚染の濃度が一部地域でチェルノブイリ事故に匹敵するとの分析結果を示し、避難住民の帰還には「大規模な土壌修復計画が不可欠だ」と指摘した。河田氏は、文部科学省の空間放射線量調査などから原発周辺の土壌に含まれるセシウムの量を推計。原発の北西を中心に、チェルノブイリ事故で強制移住の基準となった1平方メートル当たり148万ベクレルを超える地域が約600平方キロにわたって広がり、同事故で一時移住の基準となった同55万5千〜148万ベクレルの地域も約700平方キロに上ると説明した。
[PR]
by djsinx | 2011-05-24 23:05 | 震災関連

南相馬市にボランティアに行くための必要情報【5/20更新】


○概要

5月20日現在で南相馬市では県内、県外共に現地ボランティアを募集しています。詳細については下記公式ブログの最新情報をご確認ください。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/

なお、ボランティアセンターのHPもご確認ください。
http://minamisoma.jimdo.com/

ボランティアの人数はGW後は減少しています。それでも現在100名を越える方々がボランティアに参加されているようです。基本的には予約なしで当日ボランティアセンターに行けばよいのですが、団体の場合は事前に連絡していただけたほうが流れがスムーズになるのでよろしくお願いしますということです。実際日によって依頼件数、必要人数が流動的なので。


○作業
原町区ボランティアセンターでは午前9時より受付開始。社会福祉協議会正面玄関に当日直接来て登録できます。「出来るだけ午前中に受付をして頂けると助かります」とのこと。活動が最大で午後4時までなので、遅くなると活動時間がそれだけ減ります。また、希望する活動の種類がある場合は9時からのマッチングに間に合うように到着している必要があります。ただ、この受付とマッチングに関しては連日対応やフローが変更になっていました。さすがにもう落ち着いているとは思いますが。初回の方は2回目以降のボランティアとは別の列に並び、初回のブリーフィングを受け、その後依頼や人員の必要性に応じてそれぞれの現場に赴くことになります。何があるかは日替わりです。ご参考までに昨日発表された原町区の5/20の作業予定を一例として掲示します。

☆ 流出物の洗浄・展示   3件
☆ 避難所の運営補助    1件
☆ 託児所の運営補助    2件
☆ 物資の仕分け       1件
☆ 物資の搬入        1件
☆ ガレキの撤去       3件
☆ シート貼り付け      1件

その他、毎日報告がUPされていますので最新情報、ご確認ください。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/theme-10035284793.html

鹿島区での作業はまた原町区とも異なっており、瓦礫の撤去作業は5/16に依頼分の作業が終了し、復旧から復興支援へと活動がシフトしていくとのことです。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/entry-10893081619.html

なお、5月24日(火)~27日(金)で予定されていた『仮設住宅入居準備』の作業は延期になったとのことなのでご注意ください。
http://ameblo.jp/minamisoma-svc/entry-10897160780.html

専門知識、資格などもあればあったに越したことはありませんが、ないからといってその人間が不要であるというようなことはありません。基本的な宿泊、食事、移動の手段を自己完結でき、必要装備を用意できるのであれば人手が必要な場所はまだまだあります。現地を見もせずに一般論を振りかざしてあれこれ批判する人もいるようですが、そういった手合いはさっさと無視して現地とのやり取りでニーズを押さえて活動すればよいと思います。


○必要装備
何はともあれボランティア保険に入ってください。天災タイプです。そして保険証もしくはコピーを必ず持参してください。現地でも入れるとのことですが、受付に時間がかかるため、極力出発前に入るようにしてください。

瓦礫撤去の際は中敷に鉄板の入った安全靴タイプの長靴は必須。現地は品薄の場合があるので、出発前に入手できればベストです。しっかりした厚手の作業用ゴム手袋、濡れてもいい服装、タオル複数枚、帽子は各自準備したほうがよいです。下記リンク参照。帽子、防塵マスクは現在南相馬のボランティアセンターでも支給されています。もちろん自前のものがあればよいです。

特にこのところ非常に暑くなってきています。完全防備で野外の作業をする場合は脱水症状、熱中症などに細心の注意を払う必要があります。それら自体も危険ですが、元々足場や作業環境は劣悪なため、事故にも繋がります。

水害ボランティア作業マニュアル:
http://www.saigaivc.com/app/download/3819477115/suigai-manual.pdf?t=1302414307

それ以外の作業を希望する場合は特に上記装備は必要ないことも多いですが、要確認。ゴム手袋、防塵マスクは多くの作業でも必要になってくるので一揃い持参したほうがよいです。

他、必要と思われるものでは、非常用の保存の効く食料、水、寝袋、毛布、着替え、防寒具、雨具、洗濯用洗剤(コインランドリーはかなり開いています)、筆記用具、洗面具一式、懐中電灯、ラジオ、食器等。キャンプ装備があれば丸ごと持ってくると便利。


○支援物資
支援物資はボランティアセンターでは受付終了しているようですが南相馬市役所では団体からの支援に限り受け付けています。
http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/shienbussi.jsp


なお、本日付として下記の通り情報が出ています。仮設住宅への入居に関して発生している支援要望です。

◎特に不足しているもの (5月20日現在)
・衣類
 夏用上着(Tシャツ、ポロシャツ等) ※新品に限らせていただきます
 夏用下着(ランニングシャツ等) ※新品に限らせていただきます
・寝具
 敷布団、シーツ、タオルケット、夏用掛布団、枕
 ※5月末から入居が始まる仮設住宅用として、上記の寝具類2,000セットを集めています。

また、市役所やボランティアセンターレベルではなく、民間団体、NPO等が独自の活動の上で必要物資を募集している場合があります。個人での支援要請等もあり、web上にはいくつかサイトがあります。

311 HELP.com
http://311help.com/

ふんばろう東日本支援プロジェクト
http://fumbaro.org/


○宿泊
4月26日現在での宿泊可能ホテルが公表されています。
http://www.minami-soma.com/kanko/modules/d3blog_2/details.php?bid=11
車中泊等をお考えの方もいらっしゃるかと思いますが、その場合はmixiの南相馬市コミュ等で議論がされていますのでご参照いただけるといいかと思います。なお、原町区ボランティアセンター敷地内での車中泊は禁止となりました。

原町区のサッカー場でのテント泊が可能になりました。詳細は以下ブログから。それ以外も車中泊の話なども載っています。
http://blogs.yahoo.co.jp/minamisouma_ouen

鹿島区にテントを持たないボランティア用にテント村が設営されています。トイレ、炊事場等利用可能で一泊100円なのでかなりリーズナブルだと思います。
http://ameblo.jp/minamisomasakura/entry-10883478494.html

他にもオフィシャルではなくてもスペースを提供されている方、組織もおられます。ボランティアセンターからの斡旋はできない決まりになっているようなので公的には情報は出ていないかもしれませんが、事前にあちこちチェックしてみることをお勧めします。


○食事・買い物
現在、鹿島区、原町区共に商店、レストラン、スーパー等が再開しつつあります。セブンイレブンはほぼ全店営業中(ただし、品薄の品目あり)、現地資本のスーパー、フレスコキクチも鹿島店では既に営業中。原町区でも営業再開しました。とても賑わっていて、品切れなども起こる気配はありません。ヨークベニマル、イオンモール等も再開済み。

個人商店、食堂等も日ごとに再開している店舗が増えていますので、緊急用の非常食、飲み物等を用意する必要はありますが、現地で購入、食事ができます。復興支援のためにも買占めにならない程度で買い物をするのがよいかと思います。

原町区の駅前エリア、肉屋、魚屋、ラーメン屋、喫茶店、Bar、靴屋にワークショップまで日に日に開けてきています。Coco’sも開いているのを確認。いい流れになっていますがまだまだ客足は少ないとのこと。ご協力よろしく!


○移動
現時点で関東方面から南相馬市へのアクセスは東北道二本松ICから国道4号線→松川で県道51号線→国道114号線→川俣町で国道349号線へ→県道12号線で南相馬市原町区。渋滞がなければ宇都宮ICから4時間程度で到着。鹿島区へはそこから県道120号線もしくは国道6号線で12km程北上。いわき方面からだと国道399号線を通るルートが飯舘村まで通れています。放射線量の高いエリアもありますので自己判断でどうぞ。

ガソリンスタンドは概ね平常営業に戻っているようです。若干値段は高めですが、給油量の制限などは特に聞きません。

ボランティアセンターのHPにアクセスについての記述ができましたのでご参考に。
http://minamisoma.jimdo.com/%E6%A6%82%E8%A6%81-%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9/


公共交通機関の使用を考えている方は、現在福島市のJR福島駅東口から南相馬市までバスが出ています。
http://www.fukushima-koutu.co.jp/bus/pdf/20110513_smfs.pdf

東北新幹線も再開していますし、全国各地から福島市行きの長距離バスも運行されていますのでご確認ください。ちなみに関西からのアクセスでも夜行バスで5~6000円程度から数便あるようです。
http://www.bus24.jp/kansai/kyoto/kyoto-fukusima/
[PR]
by djsinx | 2011-05-20 14:44 | 震災関連

私のBlogの検索ワードランキングがひどすぎる件

2011年05月分のこのBlogの検索ワードなのだが、東日本大震災から二ヶ月経っている段階でこれですw

1位 nudist beach

2位 セックスミュージアム

3位 南相馬市 ボランティア

4位 卵げっぷ

5位 オリッサ州 ジェイポール

まず、ぶっちぎりの1位を取ったのは「nudist beach」。これはアルファベットなので世界中の検索がこのBlogをHitしたということになってまあ、分からないでもない。みんな行ってみたがるんだなぁと感慨深い。でも逆に欧米では最早普通すぎて誰も検索しないのではないかと思ってもみてしまう。バルセロナ辺りのビーチだと女の子でおっぱい出してない子の方が少ないくらいな気がするほどなので。

そして2位は「セックスミュージアム」。はい、世界のいろんなところにありますが、私達の行ったアムステルダムのは面白かったです。ギャグ満載過ぎでした。カップルや家族で来るにはかなり面白いアトラクションですね。男子一人の場合はこんなところに来てる場合じゃないので大急ぎでレッドライトを回遊していたらいいと思います♪リアルミュージアム体験100ユーロからw

ようやく3位に現れてくれたのが「南相馬市 ボランティア」。個人的にがんばって情報いろいろ載せてみたので見てくれた人がいたのは嬉しいです。こっちも情報はどんどん強化していくつもりです。でも、やっぱり上位二つはそっち系になるのねって考えると人類の未来もまだまだフェードアウトではないんじゃないかと希望が持てたりしますねっ。

なぜか4位に「卵げっぷ」。バックパッカーの間では伝説となっている「くさいいき」が吐ける様になる状態異常です。なぜか都市伝説だと思っている人もいてびっくりしました。温泉の香りのするげっぷとおならを連発する羽目になる上に感染します。病院に行くほど重いわけでもないのだけれど2日は完全絶食しないといけないという厄介なやつです。

実は一番驚いたのが5位の「オリッサ州 ジェイポール」。ここはすごおくいい所なんですが、たぶん歩き方にも記述はなかったはず。ロンプラの英語版にちらっと書いてあるくらい。アディバシというインド先住民の住む、誰も知らない系インドに出会えます。「オリッサといえばプーリー!以上!!」って日本人が多い中でこの検索はかなりレア。なぜにこれが5位にランクインしてくるのやら。


って、たまにはどうでもいい記事をUPしたくなっただけでした。
[PR]
by djsinx | 2011-05-20 00:05

震災後の今、経済を回すということの意味

震災から一月が過ぎる頃から徐々に自粛ムード、と言われたものは薄まり始めたように感じた。計画停電など実際上の要請で自粛せざるを得ないものもあったと思われるが、「なんとなく申し訳ないから」という気分的なところから生じた自粛は、花見シーズンで各個自分達のお花見イベントという形で向き合ってそれぞれに考えを深めることもできたのではないかと感じた。

ただ、それでも観光業、飲食業、娯楽業の中では倒産の話も相次いでいるし、下記ライヴハウスのように大変な経営を強いられているところもある。もちろん節電は意識しなければ行けない。自分の仕事が何らかの影響を受けてそれが賃金に響いているのであれば節約もしていかなければならない。そういった状況の人は多いと考えられる。東日本の多くの人は程度のこそさえあれ被害は受けている。

そういった時に、やはり経済を回していくということの大切さを考えさせられる反面、「どのように回していくか」というところにも焦点を当てていかなければならないのではないかと感じる。要するに、お金の使い方だ。果たして今まで通りの生活を目指して日常に復帰していくということが目指すべき、望ましい姿なのだろうか?個人的にはそうではない、そこからもう一歩踏み出して各自の生活を汲み上げ直さなければならないのではないかと感じている。


問題になるのは意識的なお金の使い先の選択。どこで何にどのようにお金を使うのか。そのお金がどう回り、どこに行き着くのか。そこに意識的になること。その一つ一つを分けて考えることは難しい。それぞれが様々に結びつき、絡み合っているからだ。

例えば余暇を何に使うのか。東北に遊びに行くというのも選択肢だ。ボランティアに行くというのも選択肢だ。東北の旅館やホテルに泊まる。現地の食堂で食べる。地元の商店街で買い物をする。名産品をお土産にする。ただ、それと同時に箱根でも旅館が倒産しているように、業界全体としても打撃を受けている場合は東北以外の場所を選ぶのももちろん選択肢として有効になってくる。

そこで何を選び、どこにお金を使うかはそれぞれの趣味、嗜好等に大きく拠ってくることになる。山が好きな人は山に登り、釣りが好きな人は磯や渓流に出かけ、映画ファンは映画館に足を運び、音楽好きはライヴハウスやクラブに行く。自分の好きなもの、ことに対して人はお金と時間と労力を使う。そうやって使ったお金が実際にどうなっていくのか。被災地に義捐金として回るのか、その業界を活性化させ、雇用を守り、経済を回していくことになるのか。

どれがよくてどれが悪いという話ではない。想像力を使い、お金の行き先、回り方を考えた上で納得して使うようになることが必要だと考える。例えば今、南相馬市では多くの商店やスーパー等が再開し始めている。ボランティアに来る人に対しても、最低限の非常食はともかく、南相馬市内でできるだけ買い物をして地域経済の支援をして欲しいという呼びかけがある。このような時、ボランティアの一般論にあるように自己完結ということを優先して全てを事前に別の場所で準備してしまえば南相馬市にお金は落ちない。

これは極端な例ではあるが、情報を自ら集め、考え、想像力を働かせることによって、ある程度までのお金の行き先を辿ることはできる。ただ価格だけを見て消費する、従来型の消費者でいてはもういけないのかもしれない、と私は思う。


もう一つ大きな問題は持続性だ。この記事のメインテーマでもあるように、チャリティ、ボランティアというのは非常に聞こえがいい。実際とても重要なことであると考えている。でも、それだけでは、特に今回のように長期的なケアが必要な災害の場合には追いつかない。阪神大震災では津波がなかったこと、京阪神の一角という都市部での直下型地震だったことで、立ち直りのスピードが今回の震災と比べたら非常に早かった。東日本大震災は巨大な津波が発生したこと、被害を受けた範囲が非常に広いこと、原発問題の先が見えないこと、過疎地であり、経済的に困難を抱える自治体が多いエリアだったことなど、復興までにかかる時間が非常に長いことが予想される。

そんな中で、チャリティ、ボランティアの存在だけでは切り抜けられない状況が生じてくる。支援側も人間であり、生活しなければならない。支援者が自らの生活を立てながら、被災地への支援が続けられる環境というのが様々な場面で求められているし、今後も求め続けられるだろう。このライヴハウスで言えば、操業に必要な資金が調達でき、スタッフに賃金が正当に支払われるという状況を持続的に確立していくということだ。

支援者が支援をしながら生活していける状況、というものも支援していかなければならないのではないだろうか。もちろん費用対効果というものは重要にはなってくるが、十分な効果の見込めるものに対しては積極的に勧めていった方がいいと考える。

「一人の一億円より一億人の一円ずつ」という言い方を聞いたことがあるけれど、これの意味は「興味、関心を持っている人数の多さの重要性」だ。もし今は一円であったとしても、そうした厚い層を持っているということは将来的、継続的に一定の支持を期待できるということでもある。そうした多種多様な関心を保持できるという意味で、支援者への支援、というものは考えるに値するのではないだろうか。

ボランティアの受け入れ態勢が長期的に整って周知されていること、そしてこうしたライヴハウスが継続的に経営を回しながら支援の枠組みと可能性を保持し、集客し続けていくということはそうした一例になるだろう。恐らくそうした中でNPO等の組織や、そうした組織による大きな組織化なども有効かもしれない。

そこに前例はないかもしれない。でも、未曾有の大災害であるこの東日本題震災に対して、自ら考えてそうした枠組みを生み出していくという動きはあって然るべきなのだろう。



--以下引用--

「客足戻らず......」震災2カ月 チャリティーと経営の間に揺れるライブハウス事情

新宿LOFTに設置された募金箱。

 3月11日に発生した東日本大震災は、音楽業界にも多大な影響を与えている。復興イベントやチャリティーイベントが続々と開催されているが、本来行われるはずだったライブの連続キャンセル、計画停電や世の中に漂う自粛ムードによって、音楽業界を支えるライブハウスの経営が危ぶまれているのだ。

 GLAYなどを育てたと言われる老舗ライブハウス・神楽坂エクスプロージョンの小嶋貴氏も、ライブハウスの現状を憂う。

「店舗そのものに大きな被害はありませんでしたが、3月11日から1週間ほど全公演がキャンセルになりましたね。今までにない状況だったため、"こういう時にこうすべき"というガイドラインもない混乱した状態で、いくら店舗やイベンター側がライブをやりたくても、お客さんのことを考えると中止せざるを得ない状況でした。入る見込みだった売り上げが全部断たれているわけですから、その一週間の金銭的なダメージは大きいです。スタッフへのギャラもライブごとに払っているので、ライブがキャンセルされてしまうとそれもなくなってしまう。東北の方々の方が大変といえばもちろんそうなのですが、正直苦しい状況です」

 また、業界全体が「ライブイベントをするならチャリティーで」という空気になっており、それ自体はむろん好ましいことなのだが、会場やミュージシャン側もノーギャラというイベントが続いた場合、経営に響きかねないという問題が出てきてしまう。

 震災直後から、精力的に復興チャリティーライブを行っていた新宿LOFT店長、大塚智昭氏はこう語る。

「チャリティーライブをやるときに最初から考えていたことは、"アルバイトにはきちんと給料を払いたい"ってことでした。批判もあるかもしれませんが、こちら側の収益がないとダメだ、と。『チャリティーだから会場使用料も無料です、お金は募金箱に入れてください』と言ってしまうと、要は会場で働いている人が完全にボランティアになってしまうわけで、そうすると従業員が食えなくなってしまう。だから出演するアーティストにも、『収益の半分は募金して、もう半分は会場使用料にして、その中から出演者皆の最低限の出演料と交通費も出したい』という企画意図を伝えました」

 そういった意図の下、震災直後に救助の手が回っていなかった北茨城にスポットを当てたイベント「LIGHT UP IBARAKI」(水戸ライトハウスと共同開催)で集まった募金と救援物資は水戸ライトハウスを通して北茨城の被災地へ送られた。

 また、震災から2カ月がたち、都内のライブハウスは通常営業にほとんど戻りつつあるようだが、まだまだ停電や大規模な余震の可能性も残る今、ライブハウスはどのように対応しているのだろうか。

「今はキャンセルされた公演の振り替えや、通常通りのスケジュールでライブを行っています。節電に関しては照明の数を減らしたり、外の看板の電気を落としたりして対策をしています」(神楽坂エクスプロージョン・小嶋氏)

「一番怖いのが、ライブの最中にパニックが発生すること。例えば、緊急地震速報がお客さんの携帯に入って、皆が一斉に外へ出ようとして事故が起こるようなケース。なので『余震があっても慌てないで、こちらの指示に従ってください」と前説を入れる場合もあります。ウチは地震があっても照明などが落ちてこないようにシッカリ補強しているので、それよりも慌てて外に出ることの方が危ないですから」(新宿LOFT・大塚氏)

 しかしながら店舗側がいくら余震対策等をしていても、まだまだ都内も"普段通り"とは言えない状況。客足の方も、震災前と同様に、とはいかないようだ。

「震災以降、前売りチケットがほとんど売れていないんです。僕たちの企画力の問題なのかもしれませんが、まだ"来週好きなバンドのライブがあるから行こう"という気分になってないのかも。電車や電気もいつ止まるか分からない状況ではこちらとしても動員も読めないし、相当しんどいです。ただ、震災発生当日の3月11日に電車が止まって帰れなくなった人の受け入れをやっていた時、普段ライブを見ないような人やしばらくLOFTから足が遠のいていたという人も来てくれたみたいで、そういう人たちがまたライブを見にきてくれるとうれしいですね」(新宿LOFT・大塚氏)

 非常時に打撃を受けやすい娯楽産業、さらにその中でも音楽業界はもともと不況が続いている。ベテランから若手までミュージシャンたちはこぞって被災地支援に乗り出しているが、彼らを育て支えてきたライブハウスが今後どうなっていくかは案外、業界の鍵を握っているかもしれない。
(文=藤谷千明)
[PR]
by djsinx | 2011-05-12 18:17 | 震災関連

南相馬市の状況変遷。そこは「今は」ゴーストタウンではない【4/20~5/3の記録】

恐らく全ての被災地について言えることかとは思うが、地震と津波に加えて原発事故の影響も強く受けることとなっている南相馬市の模様も、時々刻々と移り変わっている。そこで何が起き、何がどのように動いて行っているのか、その詳細は遠くから眺めただけでは分からない。当然、誰かによって編集、演出された「報道」を鵜呑みにするほど愚かしいこともない。

無論私が今こうして書いている文章も、一人のボランティアから見た南相馬市の情景であり、そこには意識的にせよ無意識的にせよ編集と演出という操作は入り込んでくる。可能な限りバイアスを取り除きたいとは考えているが、例えばコップに半分はいった水を「まだ半分もある」と表現するか「もう半分しかない」と表現するかによって印象が変わるように、完全には払拭できないことは最初から認めねばなるまい。なのでむしろ自分の印象、心情、感想を語るときには可能な限りそれがそうと分かるように努めるつもりだ。その上で、数多くある情報のうちの一つとして「参照」してもらえればと思う。

最初に、訪れて文章を記している自分のことを一通り伝える。背景や目的を伝えることで私という人間のバイアスを掴みやすくなると考えるからだ。私はこのブログのトップにも書いているように、3年4ヶ月の世界放浪を終えて今年の3月末に帰国した。帰国理由は地震ではなく別の個人的事情による。その事情にある程度目処がつき、帰国後の新しい職を探す前の空白の時間帯を利用して大震災に対して何かアクションを起こしたいと思い、南相馬市でのボランティアに向かうこととなった。南相馬市を選んだのは県外ボランティアを受け入れていた、数多くない自治体の一つだったということ。そして原発問題、放射能への危惧があって、仙台や石巻に比べてこの地を訪れるボランティアの数が比較的少ないということを知ったためだ。

そして実家の栃木県から、一通りの装備を携えて4/20に南相馬市へと赴いた。ボランティア参加の詳細については別記事に掲載してあるので興味のある方はそちらを参照して欲しい。
http://sinx.exblog.jp/16259690/


4/20
この日は朝4時半に栃木県を出発し、東北自動車道二本松インター経由で南相馬市鹿島区に向かった。前夜からの悪天候の制で飯舘村付近は真っ白な雪に覆われていた。避難所での寒さ対策の難しさの話などを聞いていたので非常に心配になる。峠は無事に越えることができ、南相馬市に到着することができた。

鹿島区の中心は原発から31kmを越えた辺りに位置しており、屋内退避・自主避難区域から外れていたため少ないながらも車の往来はあり、若干の個人商店、それにセブンイレブンは開店していた。それでも閑散としていて閉まっている店の多さをひしひしと感じることとなった。この日瓦礫撤去にお伺いしたお宅も30km圏内ぎりぎりの位置にあった。この時点では30km圏内のボランティアによる瓦礫の撤去は許可されておらず、そのため中心部の原町区ではなく鹿島区での作業がメインになっている。

ボランティア終了後原町区の知人宅に向かう。6号線を南下すると道路のすぐ脇に船が流されてきて座礁している光景を目にする。それでも海から3kmあるせいか、6号線を越えて津波の被害を受けているエリアは南相馬市ではほぼ見ていない。車の往来はそれなりにあるが、30km圏内に入ると個人商店も含めてほとんど閉鎖されている。一軒開いていたトンカツ屋には車が何台も止まって食事をしている姿が見えた。原町区に入って見かけたダイユーエイトは食品部門が閉鎖され、営業時間が短縮されていたがそれでもホームセンター部門は開いていた。実際自分の家が被災すれば必要な物はたくさんあるはずだ。

原町区内の商店、スーパー、レストラン等は軒並み閉店。まだ黄昏時だというのに車の往来もほとんど見られず、ゴーストタウン状態だった。


4/21
再び鹿島区で瓦礫撤去を行う。この日も街の様子はほぼ変わらず。車の往来はやはりある。知人の話だと20km圏内の自宅に物を取りに帰ったりといった理由で避難所や避難先から来る人が結構いるのだという。

ボランティア後、同じ班のメンバーに連れられて、相馬市との境に近いラーメンショップに行く。ここは営業時間こそ短縮されているけれど営業している。あつあつのラーメンを食べることができた。

また、鹿島区のフレスコキクチという現地資本のスーパーが開いていた。南相馬市で唯一に近いのではないかと思われる開店中の大型スーパーのため、非常に利用客が多い。中に入ってみても、震災直後のように陳列棚が空っぽ、ということは一切ない。「がんばろう南相馬」の張り紙がなければどこにでもある日常風景と見分けがつかないほどの品揃えだった。値段については手元のレシートを見ると

・エリンギ 78円
・ブロッコリー 68円
・とまと(中玉) 158円
・小松菜 158円
・コロッケ 1個50円(がんばろう南相馬特価)
・お刺身用赤味カツオ解凍 153円(本日のオススメ品)

と、悪くない価格であると感じる。通常のこの辺りの物価を知らないので大きなことは言えないにせよ、どれも食べて美味しかったことは付け加えておく。

6号線は夜になっても車の往来はそれなりにある。店はまだまだ閉まっている。ただ、一つ難を言えば6号線上23km地点にあるヤマダ電機テックランド福島原町店の看板の明かりが営業もしていないのに全力で煌々と照っているのはやめて欲しいと思った。節電しろと言いたいのもあるが、一縷の望みをかけて空っぽの駐車場に飛び込んだときの落胆といったらもう、裏切られた気持ちでいっぱいである。

この日、知人宅に戻ると当日の深夜12時をもって20km圏内が警戒区域に指定され、立ち入りが全面禁止になることを知った。


4/22
この日、20km圏内が警戒区域に指定されるのと同時に20km~30km圏内に出されていた屋内退避・自主避難の指示が解除された。それと同時に南相馬市内の同エリアの多くが緊急時避難準備区域に指定され、南西部を中心に、飯舘村に近い山間部が計画的避難区域に指定された。30km県外のプレーンなエリアと併せて、南相馬市内にはこれから四つの区域が同時に存在することになった。

この日は雨で瓦礫撤去ができないため、知人に街を案内してもらうこととなった。6号線から東、海岸沿いに向かうと高低差や地形に応じて状況はばらばらだが、やがて津波に襲われた場所に出る。報道で繰り返し繰り返し見てきた景色だが、実際に目の当たりにするとその凄まじさには言葉を失う他はない。全てが押し流され、瓦礫と化し、分厚く泥を被っている。家々の跡は判別もできず、田園は濁った海水の沼になっている。

その真ん中をどうにか瓦礫を避け、復旧された道が走っている。自衛隊車両、警察車両、作業車両、一般車両、数こそ多くないが様々な車を見る。雨の中でも自衛隊は遺体捜索を行っている。一列に並び、棒を持ち、沼地を探っている。様々な自衛隊論があるかもしれないが、ここで見た彼らとその働きに対しては尊敬と感謝の念以外はあり得ない。

海岸沿いの被害は北上し、相馬市にまで変わらず続いている。途中何度かある丘陵地にある家は、瓦が落ちたり塀が倒れたりこそしているものの軽微な被害で済んでいるものが多い。もちろん、インフラが切断されていればそこに住み続けるのも容易なことでないだろう。実際そうしたエリアもあちこちに見受けられた。

相馬市は放射能の問題が南相馬市に比べて遠いためか、復旧は順調に進んでいるという。港湾部の津波の被害は甚大だが、中心部には車が溢れ、人の姿も南相馬市に比べたら遥かに多い。店もレストランも多くが営業を再開している。ボランティアの数も全然多いようで、順調に復興が始まっているという印象を持つ。


4/23
この日も雨のため、24km地点の原町区のボランティアセンターでボランティアの口を見つける。遺留品の展示業務を行うこととなった。原町区内の会場で作業をしていて、昼食時にどうやら近くの商店街の焼肉屋がランチ営業を再開するという話を聞く。

行ってみると、メニューを制限し、ランチ営業だけだけれど、今日から再開したという。まだまだ人気のない商店街、支援になればと美味しくいただいた。




そして、この頃から徐々に街の雰囲気が変わり始めた。

車で街を走っているときに八百屋や肉屋といった個人商店が日に日に店を開け始めた。洋品店、靴屋、喫茶店にラーメン屋、Barまで一日ごとに新しく開いている店を見つけることができるようになっていった。

やはり、「屋内退避・自主避難指示」の解除が大きかったのではないかと地元の人は言う。それまで屋内でなにもできなかった人たちが表に出始め、近隣の市町村に避難していた人たちがこれをきっかけに地元に戻ってきたという。実際に、一時は7万人の内、1万5千人しか残っていなかったという南相馬市の人口は、5月頭には3万人から4万人にまで戻っている。罹災照明等、必要書類の申請のために人々が戻ってきて、市役所前には行列ができるほどになった。4月末には郵便配達のバイクも再び見られるようになった。日常生活が一つずつ南相馬市に戻ってきているように感じた。

そして、25km地点のフレスコキクチの原町区の店舗も4/29に営業を再開した。30km圏内の大型スーパーの営業再開は初めてのはずだ。もちろん棚にはしっかりと商品が並び、多くの買い物客が訪れた。この日はGW初日ということもあり、ボランティアセンターは県内外からのボランティアで溢れた。避難していた人もこの時期に続々と戻ってきたり、一時的に南相馬を訪れたりしていて、市役所付近は渋滞さえ起こるようになっていた。市役所駐車場の入り口には「満車」の看板を持った警備員が常駐するようになっていた。

地元資本のレストランや個人の店はどんどん営業を再開する一方、大型チェーン店はそれでもまだほとんどが沈黙を守っていた。レストラン、ファーストフード、電器店、洋品店等、6号線沿いの多くの巨大店舗は空っぽのままだった。コンビニもセブンイレブンを除いてはどこのチェーンも営業を再開していない。そんな中でようやくGWに入ってCOCO'sが営業を始めた。

そして、GWの半ばから終わりにかけて、5/4にヨークベニマルが、5/6にはイオンモールが営業を再開したという。イオンモールに関してはモール内のジャスコで、NPOとボランティアの手で地元の声を伝える番組「いっとこ/南相馬チャンネル 」が連日放映されている。
http://sinx.exblog.jp/16306792/





ただし、だからといって南相馬市が「復興」へと舵を切ったと言い切ることは全然できない。この街には最初にも述べたとおり、原発、放射能問題、という特異な要素が絡んできている。それにより現在20km圏内の地域は立ち入ることさえできず、30km圏内も現時点では日常生活を送れるかもしれないけれど、何か事態が変化したら急ぎ避難しなければいけないというのが日々の状況として存在している。

そのような中で、腰をすえて南相馬市で仕事をし、生活をして復興へと全体重をかけて臨めるのか、というのが大きな問題になってきている。さらに五月末までに避難を行うように勧告されている飯舘村は南相馬市の西に当たり、このエリアが五月末以降どのように運用されるのかもまだ決定事項としては周知されていない。もしここが20km圏内と同じように立ち入りが禁止、制限されたら?それは南相馬市の物流にとって非常に大きな痛手となる。

実のところ、福島市や郡山市の三分の一程度しかない放射能の危険性よりも、原発問題全体が南相馬市で生きる、という生活上の選択そのものを圧迫していると言ってもいいかもしれない。このまま南相馬市にいることで、生活していけるのだろうか?暮らしが成り立っていくのだろうか?それはただの茫漠とした「不安」などではない。実際上の不確定要素なのだ。原発がどのように、いつ頃収束するのか。そもそも収束するのか。東北道へと続く飯舘村、川俣町には入れるのか、そして来年以降の農業は制限されるのか。あまりにもそうした要素が多い。

今何とか南相馬市は踏みとどまり、踏ん張っている。でも、そこにかけられる力は原理的に他の被災地とは違う。どんなに南相馬市民が力強く、粘り強く踏ん張ろうとも、その地盤が全く安定しないのだ。原発事故は事故が起こってそれで終わりではない。長い長い始まりなのだ。そして状況は連日変化していく。もしかしたら明日にも大きな変化や指示があるかも知れない。それは、南相馬市民には分からないことだ。

だからこそ国民レベルで見れば息の長い、継続的な支援が南相馬市には何よりも大切であり、政府としては迅速で明確な支持とそれに対する責任あるサポートが必須となる。


現状について私の知っている限りのこと、考えたことを記した。だがそれも一週間前までの状況をベースにしたものであり、最新ではない。例えばGWが終わり、あれだけ集まっていたボランティアも再び数が減っている。これからも数は減るだろうし、それによって変わってくる状況もあるはずだ。あくまで参考として、この文章が役に立てばと考えている。そして誰か一人でも、南相馬市のこの現状に対してアクションを起こす人が増えればと祈っている。
[PR]
by djsinx | 2011-05-10 12:56 | 震災関連

真剣に被災地の声を聞けるUst番組「いっとこ/南相馬チャンネル」

「いっとこ/南相馬チャンネル 」
毎日大体10~15時Live放映中


Live video chat by Ustream


これは、南相馬市民による南相馬の「本当の情報」配信サイトです。
キャスターは人気急上昇 草野君

10時〜15時(だいたいです)
市民のホンネ、疎開された市民のみなさまに送ります。

回線不調でたまに切れるときがありますが、長い目で見ていただければ幸いです。

市民の皆さん、ぜひご参加ください。名前だし、顔出しできない方、配慮できます。
企業面接や、支援受注、安否情報にも使えます。

また下記アドレスまでなんでも結構ですのでご連絡ください。
動画を通してそれにお答えしていこうと思います。
アドレス→kusnaoj@yahoo.co.jp

南相馬市 NPOフロンティア南相馬(申請中)
地域活性化情報配信サイト いっとこ

----

これは南相馬市のイオンモールにあるジャスコ内で、市民から出演者を募ってその場で本音をぶっちゃけてもらうというLive企画です。

被災者という言葉の中で一括りにされている多くの人々が自分の言葉で、自分の立場でしゃべろうとしてくれています。例えば南相馬市にいて、地震や津波に加えて放射能の脅威があるから全員が「原発憎い」「東電ふざけるな」だけなのかと言えば決してそうではありません。じゃあみんな容認しているのか?当然そんなこともありません。分かりやすいレッテル張りと分類の中で見えなくなっている一人一人の人間の言葉、それがここには現れてきています。

南相馬市としては原発の恩恵を直接受けていないのも事実でしょうし、雇用先が原発と繋がっていて個人として原発のおかげで仕事ができていた人もいます。それを全部まとめて「じゃあどっちなんだよ」みたいな話は全く意味がありません。そんなのは遠くの方で吠えているだけの外野の意見です。

大切なのは安易に答えを出すことではなくて、しっかりと問い続けることではないでしょうか。どのような問いを?それも含めてですよ。
[PR]
by djsinx | 2011-05-09 23:47 | 震災関連

福島県の通過してきた場所の現状について(南相馬市、飯舘村、葛尾村、川内村、いわき市)

福島県の南相馬市から飯舘村に出て国道399号を通り、川内村まで下り、いわきを抜けて帰ってきたのでその道中の様子の報告。

飯舘村は計画的避難地域に指定された現在、街道に面したほとんどの店やレストランが営業していない。ぎりぎりコンビニは開いていたけれど、それが今後どのように推移していくかは不明。外を歩いている住民もほぼおらず、福島市と南相馬市の間を行き来する車が通っているだけという印象。既に避難している人も多いはずだが、飼育されている牛や馬の姿も見えたため、どこまでなのかは分からない。

国道399号線は飯舘村からいわき市まで5月4日現在で全て開通しており、走行可能。ただしあちこちで道路の一部が小破しているため注意が必要。浪江町へと向かう峠には放射線量がかなり高いところがある。そこから浪江町の西部、葛尾村を通るがどこも人気はほとんどない。たまにすれ違う車があるが、他県ナンバーのものが半分程度。かく言う私もそうだ。ボランティアかもしれないし、そうでないかもしれない。

川内村は現在役場が郡山市へ避難しており、村民も2500人の人口のうち、残っているのは300人程度であるようだ。全域が緊急時避難準備地域に指定されており、下川内の交差点から富岡に至るルートは、交差点付近がほぼ原発から20km地点となるため、全面的に進入禁止になっている。

村内の商店、食堂、コンビニ、かわうちの湯も営業していない。ようやく昼間だけガソリンスタンドが開き、郵便が再開したとのことだが、必要物資の買出しには現状では399号を山越えしていわき市まで行かなければならないという。

村の様子はまさにゴーストタウンで、役場周りで自衛隊と警察が活動しているのを見た以外はほとんど人っ子一人歩いていない状態。無論もともと静かな村ではあるが、当時のようなのどかな雰囲気はやはりない。

それとは逆に、いわき市は津波の被害を受けていない平などのエリアはかなり復興が進んでいるように見える。商店、スーパー、レストラン、コンビニ等、ほぼ通常営業のようだ。棚にも物がしっかりと並んでいるし、街中は車が溢れ、人々が闊歩している。もちろん通ったのがこどもの日だったからということもあるだろうけれど、賑わいは沿岸部以外では戻ってきているようだ。

今回は訪れていないが、四倉方面の太平洋岸はひどく津波の被害にあっているとのこと。小名浜港も被害を受けていたが、地形が幸いしたのか、港の目の前の道沿いにある家屋も多くは半壊程度の被害で済んではいるようだ。ただし、魚市場や水族館、船舶などの被害はもちろん出ているため、軽微な被害とは言えない。正直他がひど過ぎるだけだ。
[PR]
by djsinx | 2011-05-07 19:36 | 震災関連