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偶然と再会

218

朝一でご飯を食べに散歩する。ちょっと歩いた先の少しローカルっぽいオープンエアの食堂で食べる。ここでは既に朝日は海から昇らない。ここは西岸なのだ。帰りに客引きにいくつか部屋を見せてもらう。予算を言うと一本奥なら安くていい部屋があるということだ。ついていくとアーユルヴェーダのお店の裏手に連れて行かれる。看板も特に出ていないが何部屋か貸しているようだ。見せてもらうとベランダも広く、プライヴェートもあっていい感じだ。値段も安いし静かだ。すぐにここに移ることに決める。

荷物を移動するために宿に戻ると、その目の前で日本人のきれいな女の子とすれ違う。その子がJunちゃんとすれ違ったときだった。

「あれ、どこかであったことありませんでしたっけ?」

振り返ると確かに見たことがある。話してみるとそれは数年前からPartyで知っているnaoちゃんだった。連絡もしばらくまったく取っていなかったしインドにいたのも知らなかった。本当に偶然だ。彼女はティルバナンタプラムのシヴァナンダアシュラムでヨガのティーチャートレーニングを受けていたらしい。しばらくお休みを取ってヴァルカラに来ているという。

お互い宿を移るところだったのでまた食事をしようと言って別れる。そしてさっきの部屋に入り、荷物を解く。友人が一人そろそろインドに短期で遊びに来ることになっていたのでその連絡を見てみようと思い、wi-fiの繋がるレストランでネットに繋げてみると、なんとバンガロール空港に着いてすぐにヴァルカラに向かっているという。日にちを計算するとどうも今朝ヴァルカラに到着しているようだった。予想外で二人で驚いていると、本当に驚いたことにエスプラネードをその友人がとことこと歩いてきたのだ。彼女も同じPartyで遊んでいたけいこちゃん。ニンビンとパイにも遊びに来てくれた根っからの旅人だ。今回は14日の短期でインドに遊びに来た。

再会を喜び、午後は3人で積もりに積もった話をする。
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by djsinx | 2010-02-19 17:29 | 旅の記録

楽園、ヴァルカラへ

217

長くい過ぎてしまったカニャークマリを出発する。朝一でバスステーションに行き、ティルバナンタプラムに行きたいと言うと、目の前のバスを指してこれに乗って途中で乗り換えれば行けるとのこと。直通がないのは面倒だが仕方がない。すぐに乗り込む。

バスは街中で客を拾いながら走る。車内はすぐに混雑するが大したことはない。1時間と少しで名前も知らない小さな街で乗り換え。そこからさらに1時間程度でケララ州の州都、ティルバナンタプラムへと到着する。元々トリヴァンドラムという長い名前だったが最近名前が変わってさらに長く、覚えにくくなった。困ったものである。

ここの大きなバスステーションでヴァルカラ方面へのバスを待つ。リキシャが500Rsで行くというけれどとりあえずバスで行くことにする。30分ほどでヴァルカラ「方面」に向かうバスがあるから乗れと係員に言われて乗り込む。国道沿いの町で乗り換えたらすぐだという。とにかく乗り換えだらけだ。再び1時間ほど揺られているととある村のバスステーションで車掌に降りろと言われる。ヴァルカラは乗換えらしい。既に停まっていたバスに乗り込むとヨーロピアンのカップルがいる。彼らもヴァルカラに向かうようだ。とりあえず間違った道ではないようなので安心する。

30分ほど乗り換えた小さめのバスで細い道を走っていくと街が開けてくる。ヴァルカラの中心街だ。唐突にバスは道端で停車し、ここが終点だと通告される。もう馴れっこだ。降りたところにいたリキシャをつかまえて、ビーチまで乗せてもらう。安い宿のある場所と言って連れて行ってもらうと不思議な林の中の安宿エリアだった。

いくつか聞くが結構宿は埋まっている。まだハイシーズンかもしれなかったのでとりあえずそこまで高くなくて空いていた宿に部屋を取る。バンブーコテージタイプのちょっとおしゃれな宿だ。そこから30秒歩くとビーチの上の崖沿いに走るエスプラネードに出る。ヴァルカラのメインビーチは崖の下にあって、お店や宿はみんな崖の上に固まっている。気持ちがいいので上半身裸で散歩をする。ここはそういう場所なのだ。水着だけの男子も多いし、ビキニで歩いている女の子もいる。

より安くて快適な宿を求めて聞いて回るが、海際は結構高い。とりあえずこの日はあきらめて翌日また探すことにして一眠りする…つもりがしちめんどくさい移動のせいで爆睡してしまい、起きたのは夜中だった。しかも宿のにーちゃんに、無用心だからドアは閉めてね、と注意されて。
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by djsinx | 2010-02-18 17:28 | 旅の記録

インド旅情報 カニャークマリ

バンガロールからカニャークマリへ

カニャークマリエクスプレスで24時間、400Rs。ケララ州のコーチン、ティルバナンタプラムを通り、最南端のカニャークマリまでの列車。海の近くを通るけれど海岸沿いは通らないので注意。コーチンの南ではバックウォーターの景観を楽しむこともできる。


カニャークマリ

インド亜大陸最南端にして、ベンガル湾、インド洋、アラビア海の三つの海が交わる場所として知られる。海から昇る朝日と海に沈む夕日を同時に見れるインド唯一の場所でもある。古代ローマ時代から「聖なるコモリン」として知られた古い聖地だということだ。岬にはクマリ神殿が建ち、先端の沐浴所ではインドの各地から集まった巡礼者たちが子供のように波に戯れて歓声を上げている。ここはヴァラナシとはまた違う、自然の力に溢れ、人間の生のエネルギーに満ちたスポットだ。

宿は大量にあり、海の見えない部屋で200Rs程度から。インド人観光客も非常に多いため、インド人仕様の宿がほとんどだ。たまに聖地巡礼でアガってしまったインド人の大家族が夜中に大騒ぎしていたりしていることもある。

サンライズ&サンセット

カニャークマリに来たらこれを見なければ意味がないと言っていいと思われる。最南端の岬に驚くほどのインド人が集まり、朝日の瞬間を今か今かと待ち受ける。あの熱狂と興奮はすごい。朝日に沸いた後はそのまま波打ち際で沐浴。初めて海を目にする人も多いのではないかと思われるが、彼らの子供がえりっぷりを見るのはなかなか壮観だ。お土産屋を冷やかしながら気になるダバで朝食というのが楽しい。

夕日も季節によっては同じ場所から見える。他にも少し離れたところに展望台があったり、2km程西にサンセットの見えるという丘もあるらしい。

クマリ寺院

パールヴァティの化身、処女神クマリを祀った寺院。重厚な石造りで他のインドとは違う雰囲気の彫刻が多い。シヴァと結婚したいと願ったパールヴァティが、「シヴァと結婚できなければ一生処女を通す」と決めて瞑想をしていたという謂れの場所だ。ここでは男子は全員上半身裸になって寺院に入らなければならない。一体処女神の神殿でなぜ男子が脱ぐのかはよく分からない。そして彫刻のアプサラがとても肉感的なラインで彫られている。普段持ちがちな「純白」というイメージとは違う何かがそこにあるように感じた。

魚フライ屋台

街の中心のロータリーの少し駅よりにバス溜りがある。夜はバスがいなくなり、そこに魚のフライの屋台がたくさん出る。丸揚げが一匹30Rsから。切り身のサメは15Rsから。蒸したタピオカをつけてくれる。衛生状態については各自確認の上問題ないと思ったら食べてみてください。
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by djsinx | 2010-02-16 18:05 | 旅情報

処女神クマリの神殿

215

朝は普通に寝過ごして、お昼前にクマリ寺院に向かう。大きな石造りの堅固な寺院だ。南インドの他の寺院とも雰囲気が違う。彩色はされておらず、柱には彫刻が彫られている。ここでは男性は全員上半身裸にならなければならない。そのことは大体のガイドブックにも載っているのですぐに脱いだが、インド人観光客は逆にそういうことを知らないようで係員に言われて初めて脱ぐ人が結構いた。不思議な逆転現象だ。

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寺院の中は外周が待合の長いレーンになっている。ディズニーランドのアトラクションを思わせる。ロープに沿ってうねうねと歩いては待つ。自分達の他はほぼ全員インド人だし、男性が全員上半身裸なので濃厚なことこの上ない。マサラ臭もいつもの5割り増しだし、何より景色として暑苦しい。そもそも処女神のクマリの寺院なのに男性がこんなに露出して歩くというのが不思議だ。長袖を着て顔を隠せと言われてもおかしくないような気もするのだが。そして柱に彫られた天女像がぼん、きゅっ、ぼんと優美な曲線で描き出されていてセクシーである。一般的な処女性とは対極にあるかと思えてしまう作りになっているのだが、その詳しい理由は不明である。陽光の降り注ぐ明るく華やかなカニャークマリのど真ん中で、胎内くぐりにも似た体験であった。

夕方再びサンセットを見に行く。昨日よりも空がくっきりと晴れ渡っていて光の色が濃い。今日は雲に隠れることもなく、そのまま海の中にちゃぽんと沈んでいった。

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太陽を二人で持って記念撮影
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シヴァリンガムの傍で戯れるインド人新婚夫婦
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by djsinx | 2010-02-16 17:27 | 旅の記録

海から昇る日、海に落ちる日、そして誕生日

214

朝の5時半に目覚ましをセットして起きる。このカニャークマリでの最大のイベント、海から昇る朝日を見に行くのだ。まだ真っ暗だけどどこのホテルも明かりがついている。従業員も宿泊客も、みんな起きているようだ。外の道からは既に歩き出している人たちの笑い声が聞こえる。

私たちも身支度をしてすぐに外に出る。徐々に明けてくる夜の中、インド人たちはみんな最南端の岬を目指す。参道を過ぎ、クマリ神殿の脇を通って広場に出る。ガイドブックにはよく書いてあるが、実際どこからこんなに現れたのだろうと思うほど大量のインド人観光客、巡礼者たちが集まってきている。

岬の突端にある小さな神殿の近くに場所を見つけて腰掛ける。次から次へとインド人たちは押し寄せてくる。遠慮のないところはいつも通りだが、それにしてもみんな興奮気味だ。潮が多少は引いているからなのか、岩場を伝ってちょっと沖にある大きな岩まで渡っている人も多い。危険だという警告なんてもちろん誰も気にしてはいない。誰も気がついてすらいないんじゃないかと思えるほどだ。

夜はやがてすっかり明け、いよいよ東の海がぼんやりとオレンジ色に染まってくる。ヴィヴェカナンダ聖堂のある巨大な岩の近く、詩人の像も見える。その先から徐々に朝日の予感がやってくる。見る場所はかなりどんぴしゃでいい感じだ。突端の付近はかなりすし詰めだ。それでもそこを去る気にはならない。

滲む様に水平線が黄色に染まった次の瞬間、海から小さな一粒の宝石のようにして太陽の最初の光が現れる。インド人たちが大歓声を上げる。浜辺から、神殿から、沖の岩から。真横から差し込む光がベンガル湾と、インド洋と、アラビア海の三つの海を同時に染める。すべてに朝日が当たり、きらめく。それは本当に美しい眺めだ。半年以上旅してあちこちを回ったインド亜大陸、その際南端に立ち、三つの海を染める朝日を巡礼者たちと一緒に見る。ようやくこれで、半周したことにはなるようだ。それにしたって広大な面を急ぎ足で点と線として駆け抜けただけだ。改めてインドの大きさを思い知る。

そして朝日が出ると程なくインド人たちは動き始める。満足して街にさらりと帰っていく人もいれば、早速波打ち際から海に飛び込み、沐浴という名の海水浴を始める家族もいる。昨年の日食のときもそうだったが、あまり余韻に浸るという習慣は彼らにはないのかもしれない。それにしても並に戯れているインド人は本当に楽しそうだ。内陸に住んでいたらこういう機会でもなければ海を見ることもない人もまだまだ多いのではないだろうか。そしてこんなスペシャルな場所で、海に入って波と戯れられるのだ。子供と一緒になって、お母さん、おばあちゃん達も海の中で歓声をあげている。若者のグループが威勢良く飛び込み、ふざけあっている。若い女の子たちもこの場所では服のまま海の中に入って家族と遊ぶ。めったに見られない光景だ。

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朝ごはんをローカルのイドリー屋で食べる。バラとイドリーをてんこ盛りでもらう。上半身裸にねじり鉢巻、ルンギ一丁のもっさりした毛深いおっさんが延々と作り続けている。漢である。そしてこの朝食、やたら滅法うまい。チャツネもサンバルも絶品だ。

早起きしたので一眠りするが、街の雰囲気が楽しくてお昼過ぎにまた出かけてしまう。暑いけれどまだ2月、全然耐えられる。インド人たちはやっぱりフルパワーで街や海に繰り出している。土産屋街には5Rsショップという日本の100均のような店が立ち並び、しかもそれがどこも大人気だった。ダイソーのように価格を変えて5Rsコーナー、20Rsコーナーと分けて購買意欲をそそっている店もある。商品はちょっとしたキーホルダーや髪留め、インドらしくビンディーやバングルもあって家族の中でも女子がより楽しそうに眺めている。何を買ったのか5Rs均一の店で300Rs程仕入れて袋をパンパンにしているお父さんもいた。親戚一同への巡礼土産なのだろうか、しかしこの店で何を?と気になってしまう。

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夕方に今度はサンセットを見に同じ最南端の岬に向かう。陸に沈むこともあるみたいだったけれど時期がよかったのか夕陽はばっちり海に向かって落ちていく。インド人たちはまだ大勢波打ち際で遊んでいる。気温も全然暖かい。岩の上で記念撮影をしているグループがいて、ボリウッド風にみんなかっこつけてポーズを決めている。インド最南端で夕陽を浴びながら、だ。もちろんみんな気合が入ってノリノリである。

遠くにはサンセットビュータワーとかいう不思議な螺旋状の塔が立っていて、景観に不思議なアクセントを加えている。振り向けば聖堂と詩人の像の見える島があり、遠くには風力発電のプラントが並び、街にはキリスト教の教会とクマリ神殿だ。三つの海とひとつの亜大陸、四つが交わってこの明るくも不思議な果てを作り出していた。

夕陽はオレンジ色に輝きながらゆっくりと海に沈む。海に入っているインド人たちがシルエットになって金色の海面に映える。再び歓声が上がる。空はオレンジ色から淡い紫色に変わり、やがて濃紺へと沈んでいく。太陽を追いかけるように光が去り、我々も海岸を後にする。インド人たちはまだまだ泳いでいた。

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夜にホテルの近くで魚の屋台を発見する。古ぼけて場末感たっぷりだが、どうにも美味しそうだ。その日取れた魚をその場でフライにしてくれるようだ。一匹30Rsから。鯵に似た青魚と鯛っぽい白身魚をオーダーし、タピオカをつけてもらう。蒸かしただけのタピオカだ、見るのも食べるのも初めて。まもなく魚が美しいきつね色に揚がる。箸ももちろんないので手づかみだ。熱々の魚を掴んで肉を引き剥がして食べる。ワイルドだ。そしてこれが本当に美味しい。口の中を生きた魚が泳いでいくように、しっかりとした海の香りがする。それにマサラがしっかりと乗り、かりっとした表面とハーモニーを奏でる。

その後さらに朝のイドリー屋にはしごまでしてしまう。インド最南端のローカル南インド料理、まったくもって侮れない。

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by djsinx | 2010-02-15 17:25 | 旅の記録

インド最南端の地、カニャークマリ

213

夜のうちにどのような経路を通ったのだろう。いくつかの大きな駅を過ぎ、やっと朝日が座席に差し込むころ、列車はどうやらコーチンへと近づいているようだった。コーチン空港に到着し、やがてコーチンの市内に列車は入っていく。久しぶりにヨーロピアンのトラベラーの姿をホームにちらほらと見る。やはり南インドは旅人の姿はハイシーズンでもそこまで多くはない。

列車は結構空いていた。SL座席でもあちこちがらがらで、自由にみんな足を伸ばしている。車内販売が頻繁に訪れてチャイやスナックには全く事欠かない。海の近くを通っているが不思議と海は全く見えない。際を走っているわけではないのだ。その代わりにコーチンを過ぎた辺りから徐々に辺りがバックウォーターの景色になってくる。広い広い水郷地帯だ。川が縦横無尽に走り、田園が広がる。小さな船に乗ったローカルがゆっくりとそこを行き来する。北に上がりながらこの辺りはちょっと寄るつもりだ。

ヴァルカラ、ティルヴァナンタプラムを通り過ぎる辺りから乗客はめっきり減る。同じ車両に数人しかいないという有様だ。もっと大勢カニャークマリに向かうのかと思っていたのだが、少ない。最後の一時間ほどは、内陸や東海岸で見たストーンカントリーの景色が現れる。インドのいったいどれだけの土地がこの表情をしているのだろう?全く予想していなかったがその広がりに圧倒される。超大陸レムリアよりも古い、ゴンドワナ大陸。以前オーストラリアやインドがその一部だったときから残っていると言われている世界でも有数の古い地層だということだ。南の果てまでそれが続いているのだ。スケールが大きいのは周知だが、実際に自分の足でこの亜大陸を周り、目の当たりにするというのはまた別の体験だ。言葉を失うしかない。

夕方、車窓からサンセットを見終えるころ、列車はカニャークマリ駅に到着する。正真正銘果ての駅だ。この先に陸地はない。リキシャに頼んで手ごろな宿を探してもらう。エキスプレスの乗客は少なかったのに、中心街はすごい人だ。巡礼者や観光客の家族だらけだ。掻き分けるようにリキシャは進み、いくつかチェックした後にビルの最上階の海の見える部屋を取ることにした。

街に出てにぎわっているレストランでミールスを食べる。また他の街とは少し味が違ってとても美味しい。賑わっているお土産屋街をふらっと散策してこの日は戻る。その途中に巨大なレッドバナナを発見。赤黒くて巨大で生々しく曲がるその姿はなかなかに美味しそうだ。話に聞いていた通りに高く、一本10Rsだったが思わず買ってしまう。

部屋に帰って早速その包皮をくるりと剥いてみると噂のカスタード状にはなっていなかったけれど、ものすごく濃厚で甘くて美味しい。バナナがこんなに濃厚で重厚な味が出るものなのか、と驚く。そしてそのボリュームも見た目以上にある。二人で一本食べただけで大物のデザートをやっつけたような気分だ。12時を回り、Junちゃんに誕生日おめでとうを言って寝る。
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by djsinx | 2010-02-14 17:24 | 旅の記録

プッタパルティからバンガロールへ

212

サイラム2世を見て目的は達したのだけれど、バンガロールからカニャークマリへと向かう列車のチケットが今日だったので、プッタパルティに3泊もすることになってしまった。それもようやく終わりだ。朝、散歩をしていたらアフロの看板に「奉仕する手は祈る唇よりも神聖である」というような文句が書かれていた。意訳すると「祈ってる暇があるなら奉仕しろ」とならないこともない。祈りに対してそのような態度を取る宗教なり聖者は初めてだったので正直驚いたし、ここは私のいる場所ではないと明確に分かった。

サイラム2世を見たとき、彼が「見よ」と言っているように感じた。「私を見よ、この街を見よ」全身でそれを表しているように感じた。私が感じただけだ。彼は座っていただけだ。でも、それから3泊して見てきたこの街は最初の日の印象を強めるだけだった。全オーロビリアンの10倍以上の人間がこの街に住み、ダルシャンに訪れるが、彼らは「この世界での」未来に向かって開かれていない。せいぜい慰めを求めているだけのように感じた。

さっさとバスに乗ってバンガロールに向かう。帰りは行きよりも全然ポンコツなバスだ。もう仕方がない。4時間であっさりとバンガロールに到着し、待ち合わせ場所の駅の予約オフィス前でJunちゃんと合流する。バンガロールの街が気に入ったわけでは全くないが、それでもほっとしてしまう。

時間が来てカニャークマリエキスプレスに乗り込む。明日の夕方にはインド最南端の街、カニャークマリに到着しているはずだ。
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by djsinx | 2010-02-13 17:20 | 旅の記録

インド旅情報 バンガロール プッタパルティ

プドゥチェリーからバンガロールへ

バスターミナルからいくつかの会社が複数本バスを出している。8時間程度。バスの時間は午前中か夜遅くがメインなので注意。ターミナルには屋台、食堂なども充実していて安宿も付近に何軒かある。バンガロールでの到着場所はばらつきがあるように思われる。政府のバス以外はメインのバスターミナルには到着しない可能性が高い。とりあえず乗り継ぐなら市バスかリキシャで駅前のメインバスターミナルに向かう必要がある。もちろんリキシャはぼったくってくるので注意。


バンガロール

世界に名だたるIT都市だが、旅行者としてちょっと訪れる分にはただの大きな街。車とビルが多く、あまり落ち着ける雰囲気ではないのでリラックスしに訪れる人は少ないと思われる。国際空港があり、南インドの中心付近にあるため、出入国や経由のために来る機会の方が多いかもしれない。


バンガロールからプッタパルティへ

バスがメインバスターミナルから一日に何本も出ている。バスターミナルにいる人に聞けばどこから出るかは親切に教えてくれる。4時間130Rs程度。


プッタパルティ

言わずと知れたサイババ2世の居城。街に到着すると大量のアフロの看板がお出迎えしてくれる。街中にサイババグッズを売る店があり、朝夕にはサイババ本人が登場するダルシャンが、サイババアシュラムのダルシャンホールで行われる。入場は無料。荷物チェックがあり、カメラは不可。

宿は大量にあり、300Rs程度から。サイババアシュラムにも宿泊できるとのこと。予約がいるか等は確認要。
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by djsinx | 2010-02-11 18:01 | 旅の記録

サイババの居城、プッタパルティへ


209

朝5時過ぎ、まだ暗いうちにバンガロールに着く。政府のバスではないのでメインバスターミナルには到着しない。ほとんど人もいないどこかのバスステーションの片隅で降ろされる。リキシャワーラーが寄ってくるがとりあえずは無視。微妙に動き始めたバスの車掌に駅前のメインバスターミナルまで行くかを聞いて回ると、簡単にそこまで行くバスが見つかる。メインターミナルだけはある。

バスは東京の最新式のバス並かそれ以上にきれいだ。メルボルンとクアラルンプールでもここまでぴかぴかではなかった。バックパックを担いでいるのは我々だけだし、竹の杖なんてついているのはバンガロール中で私だけではないかという気がしてくるほどだ。バンコクのサイアム・スクエア以上に場違い感がある。

メインターミナルでJunちゃんと別れる。彼女はマイソールに取材に行き、私はサイババ2世の居城、プッタパルティを訪れることにした。バスの乗り場は係員に聞くとすぐ分かる。人気の行き先なのだ。乗客も多い。英語の堪能なインド人としばらく日本の経済状態と技術について熱く議論を交わし、やってきたバスに乗り込む。朝一から動いたので眠くなってしばらく眠る。

起きると外の景色はストーンカントリーと荒野がモザイク状に広がっている。赤茶けて、乾燥している。幹線道路沿いのせいか時折現れる町並みは整っている。やがてバスは脇道に逸れ、さらにローカルな荒野の中を走っていく。それでもちゃんと舗装されているししっかりした道だ。2世が資金を注ぎ込んでいるという話は本当のようだった。

30分ほどそのまま走ると飛行場が見えてくる。小さいけれどちゃんとした飛行場だ。ムンバイから便が飛んでいるらしい。考えてみれば21世紀に聖者の生まれ変わりに会うために飛行機まで飛ばしてしまうのだ。インドの底の計れなさである。飛行場を過ぎると徐々に人家が見えてくる。そしてやがて道の両脇に体育館や病院、学校などの箱物巨大施設が現れる。どれも2世が建てたものだ。

バスステーションに到着し、バスを降りると出迎えてくれるのは驚くほどの2世のアフロだ。巨大な看板が目に付くところにいくつもあり、視線を逸らしても小さな看板の中で豊かなアフロが笑っている。リキシャの後部の広告もアフロなら無料飲料水機にも貼り付いている。今は彼はババよりはラムを付けられ、サイラムと呼ばれている。ババが「行者」的な意味を持つのに対し、ラムは「神」だ。1世は最早神格化されて人気だが、生きているのにすごいなあと思って宿を探すとちょこちょこ声をかけてくる。そんなに安くなかったけれど仕方がない。とりあえず一番安いところを見に行く。

ついて行くとなんと建物の5階だった。子供用のレインボーという型名の自転車が置いてある。これも何かの啓示か、ただの偶然か。宿の人に3泊すると言ってまけてもらうが、最終日に朝一で出てほしいと言われる。面倒なので断って出ようとすると引き止めてくる。結局昼までいさせろとごね倒して泊まる。ここまで連れて来た客引きがバクシーシを要求してくるが訳が分からない。コミッションなら持ち主から取ればいい。一蹴して追い出す。

正直宿だけでなく、街も雰囲気は気に入らなかった。街にいる人々の顔が全然楽しそうではないのだ。お店の人も雰囲気がとてもとげとげしている。アフログッズを売りさばこうと誰もが必死に見える。額にしわを寄せてきょろきょろと客になりそうな人を探す。他の街でも土産屋はたくさん見たけれど彼らには余裕が感じられない。信者たちにしてからそうだった。偉大なるサイラム2世の総本山に来ているのに誰も笑っていないのだ。辛そうな、苦しそうなものを抱えているような顔をしている。英語で言うなら「suffer」しているというのがきっと適切なのだろう。白人の信者も多かったが、みんな漂白剤に漬け込まれた後一週間くらい陰干しをしたような青っ白いしけた顔をしている。なぜだ?

そんなことを考えながら歩いていたら物乞いが足にしがみついてバクシーシを求めてきた。これには正直驚いた。物乞いも山ほど見てきたけれど、しがみつかれたことは初めてだ。せいぜい服の裾を引っ張られる程度で、そのような手段に訴えてきたものは誰一人いなかった。恐らくはカーストの強力な縛りのせいだろうとも思うが、そこには何らかの秩序があった。ここではそれが壊れていた。これはサイラムの名の下にもたらされた「自由」と呼んでいいものなのだろうか?その物乞いの顔も他の人々と同じように、居心地の悪くなる棘を持っていた。

夕方のダルシャンを見に行く。入り口で男女別に並ばされ、持ち物検査と簡単なボディチェックを受ける。カメラは持ち込めないとのことだ。中に入るとそこは広大なサイラムアシュラムの敷地内だ。ホールには相当の人が既に集まっていたがまだ途中のようだった。時間までしばらく敷地内を散策する。本当に広い。宿坊や食堂などがあるようだが外からはなかなかよく分からない。

気がつくとダルシャンホールは満席になっている。ホールの脇から他の見学者とともに拝謁することになった。2世は長いこと体調が悪いらしく、出てくるかは分からないとのことだった。今回はどうなのか、情報がないから全然分からない。いくつかのバジャンが流れ彼の姿は現れないまま時間が過ぎた。

そして突然前触れもなく彼が姿を現した。ドアが開き、車椅子に乗ったサイラム2世がお付の人に押されながらダルシャンホールの彼の場所へと進んだ。その瞬間、場の空気は全てサイラム2世に支配された。どよめきのようなものが人々の間を走り、それは私のいるところまで及んだ。全てを釘付けにし、離すことがない。これが彼の力だった。彼が単なるいんちきアフロ聖者でないことはその瞬間に分かった。もう、これは実際見てそうだったからだとしか説明のしようがない。説明になってない?でもしょうがない。そうとしか言えない。

彼自身は数々のスキャンダルやその目立つどでかいアフロにも関わらず、本物だったと言うのが私の正直な印象だ。それだけのものを彼はその内に持っている。問題は、状況がその彼のコントロールすら超えていることだ。

サイラム2世の教えでは、彼に帰依し、全てを委ねればその人は救われるという。サイラムアシュラムでも、大切なのはそのこととされ、サイラム2世へのダルシャン以外のことは基本的にはやらないようだ。せいぜいボランティア程度で瞑想や修行はない。つまり、ここにおいては個人の霊的な成長というようなものは問題にされない。サイラムに帰依すれば救われるのにどうしてそんなものが必要あるだろうか、ということだろうか。むしろ邪道と映るのかもしれない。その帰結として、全てがサイラム2世に向かって流れ込む。正も負も、全てだ。彼の病の一因はそこにあるのかもしれないとふと思ってしまった。

そして街の話だ。なぜ街にあんな空気が流れているのだ?ここが彼の作った街である以上、あの空気は彼によってもたらされたと言うことができる。彼の中に悪しきものがないのであるのなら、それはコントロールの不全ということになる。彼の制御を超えるだけのものがこの街に流れ込んできてしまっているのではないか。世界的に有名人であり、救いをもたらす聖者。アクセスも非常に良好。でかいアフロ。20世紀末のポップアイコンのひとつとして華々しく登場した彼はその時点で既に大きすぎる入り口を開けてしまったのかもしれない。

最後に、一個の限りある肉体を持つ生命体として、彼はやがて死ぬ。その後はどうなるのかということだ。病によって救いの力が減じているというような物言いも多少は聞いたがそんなものはお笑い種だ。じゃあ彼が死んだらどうする。救いの力は消えるのか?たかだかサイラム2世という一個体の死によってどこかに消えてしまうような救いだとしたら、そこにどんな意味があるのか?

もちろんどこかにモヒカンのサイラム3世が待っているのかもしれないが残念ながらそんな話は誰からも聞いていない。要するに、答えがないのだ。
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by djsinx | 2010-02-10 17:10 | 旅の記録

欧米にだって変なのあるじゃんよ~。

まず欧米のお菓子の中で一番理解できないのがジェリービーンズ。60年代風のサイケデリックな人工色が眩し過ぎて買えたもんじゃない。オーストラリアにいたときにレジ前に山ほど並んでいて未だに存在しているという事実に結構本気で驚いた。食べてみたけど人工的な甘さ以外は何も感じない。

後はグミ。日本のグミみたいに本物っぽい味は一切しなかった上に、もちろん人工着色料全開だし、形もヘビ型とかクモ型とかムカデ型とか食べ物にする意味の一切分からないものが多かった。あれはお菓子という概念の冒涜だと思う。

そしてヨーロッパでたくさんあるアニス味のお菓子全般。あれは日本人的にはなっかなか馴染めない味だと思う。ハッカみたいなもんだと思えばいいのかもしれないが、そんな自己暗示までしてあまり食べたい味ではない。

後、最強だったのがフィンランド人の友人にもらったサルミヤッキ。木の樹液か何かという説明を聞いた気がしたが、そんな話は吹っ飛ぶほど臭くてまずい。ネタでわざわざ日本まで持ってきて食わせているんだろうと思ったけれど、本人は本当に美味しそうに食べている。ガチで彼は味わって楽しんでいた。それがサルミヤッキの痛烈な味よりも衝撃だったことは言うまでもない。

アジアで言えば、バンコクの虫の揚げ物はお手軽スナックとして本当に普通に食べられているけど、あれはどう映るんだろう。パックされていないから対象外なのかな?いつかバグチップスとか言って発売されたら面白い。きっと日本でも罰ゲームの必需品として大人気になるに違いない。

--以下引用--

Excite エキサイト : 芸能ニュース

欧米の人が「それズレてない?」と思うようなアジアの不思議なニュースを扱うサイト「Weird Asia News」が、「日本の不思議すぎるお菓子TOP20」を発表している。

同サイトは、「日本人はお菓子づくりに関して、僕らとはまったく違う哲学を持っているようだね。ただ空腹を満たすだけでは、物足りないようなんだ」などと、前書きをしたうえで商品紹介を行っている。

栄えある1位は、バストアップガム(なお、同記事の写真は、別の商品のものが用いられている)。通販などを中心に販売されており、アメリカ大陸などで自生している野生のヤマイモ「ワイルドヤム」を配合しているとのこと。女性のための健康ハーブを「舌下吸収」できることが売りの商品なのだそうだ。

2位は、九州で限定発売されているネスレジャパンの「キットカット 柚子こしょう」。甘いキットカットに、酸っぱい柚子と辛い香辛料を加える理由が分からないそうだ。

3位は、ロッテの歯磨きガム「NOTIME(ノータイム)」。まるで歯磨きをするかのように噛めるガムであるため、時間のない時には便利であるものの、外国の方は「ガムはガムだろ。ただ噛めればいい」と思うようだ。

同記事では、他にも

・エチゼンクラゲキャラメル(福井県・小浜水産高生が試作)
・いかチョコ(愛知県春日井市タクマ食品)
・お好み焼きドロップス(大阪で限定発売)
・ジンギスカンキャラメル(北海道で限定発売)
・ケーキソーダ(生クリーム味のソーダ)
・ショコラ ブルワリー(サッポロビールとロイズによるチョコ味のビール)
・グミチョコ(明治製菓)
・オバマ大統領とマケイン候補のアメ

などが紹介されている。海外では、意外性のある組み合わせや複雑な味の商品よりも、もっと「分かりやすい」商品の方が好まれるようだ。
(R25編集部)
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by djsinx | 2010-02-09 19:27 | News