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情報収集

1129

友人に教えてもらった宿に移動する。安い上に部屋が広くてきれい。お湯まで使えるとあっては移らないわけにはいかない。屋上のスペースも広くて気持ちがいい。どうやら日本人と韓国人、中国人の多い宿のようだ。まあ、どうでもいい。朝ごはんを食べるためにロータスカフェに向かうと、ヴァラナシとリシュケシュで会った絵描きの友人に再会する。来ていたのは知っていたけれどここで会えたのはとても嬉しい。彼女は作品をワッペンの形にして売ろうとしていた。とてもいい感じだ。

ロータスカフェの情報ノートでインドビザ再取得に関する情報を収集する。結構大変そうではある。スノウリでのチンピラの恐喝についての情報もあり、かなり面倒な感じでもあって少々困る。とりあえずルートに関しては再考が必要かもしれない。一言で言えばリスクマネジメントだ。

移動した宿はとても居心地がいい。なんだか長居してしまいそうである。
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by djsinx | 2009-11-30 14:02 | 旅の記録

ベジタリアン終了!

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思いの他早く目が覚めた。ようやくお昼前くらいだった。カトマンドゥに来たら最初にすることは決めていた。
6ヶ月間のベジタリアン生活に終止符を打ち、カトマンドゥで一番美味しいと有名なエヴェレストステーキハウスでガーリックステーキを食べるのだ。どう感じるか、体調にどう変化が出るのか我ながら楽しみだったが、めちゃめちゃ美味しかったことを除けば他は全部普通である。溢れる肉汁、柔らかい肉の歯ごたえ、全てが美しい味のハーモニーであった。アレルギーにもならず、吐きもせず、やっぱりベジになろうとも思わなかった。まあ、最初っから恒久的なベジになるつもりは一切なかったけどね。

その後タメルを歩き回って10年前との違いを探してみる。でも何気にそこまで変化は見られない。あの時で既に完成していたからだろうか。日本食屋は若干無くなったり変わったところもあったけれど。そして全体的に値段は上がっている。マオイストが政権をとったせいもあるのだろう。いろんなところに以前はなかったTaxが導入されている。お土産屋もずっと同じように営業している。商品が若干変わったくらいか。

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夕方にはふる里という老舗の日本食屋でから揚げ定食を食べてビールを飲む。日本の夜ご飯だ。カトマンドゥの日本食は本当に感動的なまでに日本の味がする。素晴らしすぎて涙が出そうになった。これがここの一番の醍醐味だ。
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by djsinx | 2009-11-28 13:53 | 旅の記録

インド前期期末試験 そしてネパールへ


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翌朝ニューデリー駅のツーリスト窓口に行くが、ネパールへと向かう列車のチケットはすべて売り切れと断定される。ヴァラナシ行きもゴーラクプール行きもビザの切れる日程に間に合う便はまったくない。仕方がないので列車はあきらめて有名なシゲタトラベルに駆け込むことにする。バスの便か、最悪はエアのチケットを手配するためだ。これがちょうど午前9時。

そうしたらなんと今日の午前11時発のカトマンドゥ行き直通国際バスが存在して、しかも空席があることが判明してしまった。話を総合すると、これに乗らないと自動的にエアに乗る羽目になってしまうので即座に購入する。本気で他に選択肢がなかった。やれやれ、こう来るか。プシュカルの時からあった変な予感の集大成のような成り行きだ。

その時旅行会社の奥にあるカフェで6月にヴィパッサナー瞑想で出会ったドイツ人の女の子に再会。国からホフマンという素敵な名前の犬を連れて来ていて、しかもデリー市内にアパートを借りて住んでいるという。やることが違う。同じ瞑想に参加していたチリ人の女の子二人とも再会することになった。朝食を取りながらお互いのこれまでの半年についていろいろと話す。まさかこんなことが起こるとは。たまたま来ただけの旅行会社のはずなのに。こういう時に旅人はこれを偶然とは言わない。正しい道を歩んでいると言うのだ。予兆、シンクロニシティ、お導き、何だっていい。

旅行会社のシゲタ氏は30時間から長くても35時間でカトマンドゥ到着だと言った。これが我々のインド6ヶ月の総括としてふさわしい試験であることは明白だった。シヴァがこれで行けと言っている。インドにこれだけいればそれくらいのことは理解できる。シヴァはいつもこういう言葉でものごとを告げるのだ。

11時を30分ほど過ぎて向かえのインド人が来る。すべての荷物を背負ってリキシャを探して歩く。なかなかまともな値段で行ってくれるリキシャがおらず、時間と体力をいたずらに消耗しながらひたすら探す。ようやく見つけたのはいいものの、荷物をずっと押さえ続けないといけないような状態で、でたらめなオールドデリー地区の交通をかいくぐりながらバスを目指す。とにかく混雑が激しいし、そんな中を誰もが我先に突っ込んでいくので交通は致命的なまでに混乱している。時間ばかりがいたずらに過ぎていく。

途中で一度降りてチケットを受け取ったが、そこから先のリキシャ代を自前で出せと言われ、シゲタトラベルで言われた話と違うので

「ふざけんな( ゚Д゚)ドルァ!!」

と、ひとしきり怒鳴りつけて払わせる。こういうところでこっちが引く言われは一切ない。そしてバスを目指すと、薄汚い沼地の隣のよく分からない空き地に連れて行かれる。そこに行くと乾いた土の上に小さな屋台が並び、一台のバスが止まっていて、ネパール人とチベット人が群がっている。どうやらこのバスのようだ。しかし個人では絶対に探し出せない場所だ。何でこんな隠れるような場所から出発するのか全く理解できない。一応国際バスだろう?でもそんなことは誰も気にしていないようだった。こっちも気にするのはやめる。座席の位置で少々揉めていたが気にせずに空いている席に陣取っていたら勝手に解決していた。

そしてすべての荷物と乗客が詰め込まれて出発したのが25日の14時。1時間程度でデリーを出る。


この後は箇条書き。

18時、一度目のサンセット。体もまだ痛くないし意外と乗り心地がいいことに驚く。

20時過ぎにウッタルプラデーシュのどこかのレストランで夕食。大盛りのフライドライスを平らげる。結構うまいしレストランもきれいだった。

26日2時、12時間経過。相変わらずバスの中だと寝付けないけれど、それでもそこまで酷くはない。目をつぶって時間をやり過ごす。この頃田舎の道の得体の知れない大渋滞に巻き込まれる。果てしなく続くトラックとバスの群れの中を蠢くようにして前進するが、広くない田舎道に相互何列にも車がひしめいていて一行に埒が明かない。デリーで見た人と車の渋滞と同質だ。インドの交通は世界最悪の一つであることに疑いはない。ボトルネックになる橋があったが、そこに我先に飛び込んだらどうなるかは彼らのあずかり知らないところらしい。ゼロを発見した民族はだが、効率というものの考え方はできないようだ。

6時、一度目のサンライズ。バスの中だからか結構冷える。ネパールはもっと寒いのだ。

8時、どことも知れない道端のレストランで朝食。ゆで卵つきのターリーが絶品。二人で一つ食べたけれど結構いいボリュームだった。ネパール人たちは全員本気歯磨きタイムだった。顔も洗ってしゃっきりしている。こういう習慣だったとは知らなかった。

14時、24時間経過。埃っぽい村を通り抜けていよいよ国境が近づいてきた感じがする。独特の慌しくて人の行き来するにおいがするのだ。この辺りでも時折愚かな渋滞に遭遇する。そこに車を置いたらどうなるのか、そこを無理に通ろうとしたら全体の交通がどうなるのか、たぶん本気で分からないのだろう。

16時半、ネパールとの国境の町、スノウリに到着。バス乗員に指示され、二人でインド出国及びネパール入国の手続きをする。混み合ってはいたが、概ね順調に手続きは終わる。40ドルが米ドル紙幣で必要というのは知らなかった。

18時、バスが全乗客の手続きを終えて国境を越える。2度目のサンセット。

19時、入国後のカスタムで引っかかった荷物があったらしくその手続きをしていたがそれが終わる。近くのバスステーションで夕食。インドを出た途端にあたり一面の店でアルコールが販売され、乗客のネパール人たちはものすごい勢いでウイスキーやビールをあけ始める。驚くほど英語が通じない店だったが、ネパール側のローカルの店だからだろう。何とか二人分のダルバートを注文して食べることができた。これがインドのターリーとはまた一味違っていて美味しい。アチャールも付いていたのは嬉しかった。

20時、ようやく酒盛りが終わってカトマンドゥに向けて出発。車内はノリノリで歌っているネパーリー達の独壇場だ。もちろん酒臭い。

27日2時、36時間経過。この頃からあちこちの街や村で乗客たちが降りはじめる。大量に積んだ荷物を降ろして詰め直すので一度ごとの停車が長い。でも真っ暗な場所で降ろすから急ぐこともできない。こちらとしては待つだけだ。そして11月のネパールの冷え込みは厳しい。特にインドから来るとそう感じるのだろう。

6時、40時間経過。2度目のサンライズとともにカトマンドゥにようやくバスが到着する。路地裏の車庫で解散だと言われる。表通りに出ればタクシーがいるからそれでタメルに行けるからと教えてもらえた。乗り合わせていたラマ僧たちの後を付いて表通りに向かうと、ビルの向こうにちらっと記憶の奥底に引っかかる景色が見える。もしや、と思ってラマ僧たちの後を付いていくとタルチェンがはためくビルがいくつもある。チベット系の顔が多く見られ、かすかにヤクバターの香りすらする。

まさか、そう思いながら歩いていると大荷物を抱えたラマ僧の向かう先の景色が突然開け、そこにボダナートが出現した。多くのチベット人たちがこの時間から既に礼拝に訪れている。みんな右回りで巨大な仏塔の周りを歩いている。マニ車が回る音がし、鳩が群れで空を舞う。

オン・マニ・パドメ・フム

人々が呟いている。言葉を失うとはこのことだ。チベット文化圏から始まった今回のインド、導かれてたどり着いたのがここだった。インドの終わり、ネパールの始まり。こうして我々の次のステップは始まった。コネクションは続いている。思ったとおり、正しい道を歩んでいた。

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このバスの旅について過酷だったかと言われればそうでもないと答えるだろう。バス自体は快適だったし故障もなかった。道も概ねきれいだったし、道すがら寄ったレストランは全部おいしかった。乗りあったローカル達も少々飲みすぎたことを除けばみんな基本的にいい人たちであった。車掌は唖のおっちゃんで、「あげゃーーーーー!!」とか「わきゃわきゃわきゃ」とか時折奇声を発しながらも的確なサポートで運転を補佐していた。国境を越えるときは身振り手振りだけでどこで何をしたらいいかさくっと教えてくれた。はっきり言って彼は本気で有能であった。働けなくて乞食をしている障害者はもちろん多いけど、働ける人は誰も障害者と見做さず、普通に仕事をやっているのはこの辺の特徴な気がする。彼のキャラクターがあったからこそこの40時間の旅がこんなに楽しいものとなったのは間違いない。

もちろんそういう楽しくて得がたい経験ではあったし、体力的にも結構きつく感じないでここまで来れた訳だけれど、精神的には純粋な耐久戦であり消耗戦であることには変わりはない。最終手段としてはありだけれど誰にもお勧めはしない。そもそも電車使ったほうが安いし。


タクシーでタメル地区まで移動する。朝からテンションの高い運転手で、日本は援助いっぱいしてくれて素晴らしい国だよ。ウェルカムだ!ほら、そこの橋も日本が作ってくれてすごく助かってるんだよ。と豪快に笑いながら説明してくれた。彼は仏教徒のようで、道すがらの古いゴンパに向かって丁寧に祈りを捧げた。

オン・マニ・パドメ・フム

よそ見はあんまりしないでね。でもいろんな空気がレーを思い出してしまう。ここでこれから何が起こるにせよ、このまま進めばいい。そう感じた。

タメルに着いて、宿を探す。相場が分からないので何軒か当たって適当なところに決めるが、何とそこは俺が10年前に長逗留していた宿だったことが判明した。戻ってきた。いいのやら悪いのやら。でもとにかくそうやって始まったのだ。まずは倒れこむようにして眠る。全てはそれからだ。
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by djsinx | 2009-11-28 13:45 | 旅の記録

デリーへ そして試練の予感



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インドビザがもうじき切れるのでこの日、プシュカルを出発する。前もってアジメールからデリーまでのチケットは取っていたのでアジメールまでローカルバスで向かうことにする。だが、デリーから先のチケットが取れていなかったので、この日も朝から旅行会社に行ったり、チケット業務を委託されている郵便局に足を運んだりしたがうまく取れない。アジメール駅の予約カウンターにも行ったけれど席が余っていないと言われてしまう。なんだか変な予感がしないでもなかった。

列車は30分程遅れでアジメールを出発。その時におかまちゃんカーストの屈強な女装の男性がハイカーストらしい男性と激しく言い争いをしているのを見る。どういう経緯なのかは全く不明だ。

でもそれ以外は何も問題はなかった。9時間の快適な寝台列車の旅を終えてオールドデリー駅に到着。予定のサライロヒラ駅で降りすごし、とりあえずしょうがないからと次で降りたのがここだった。それが運のつきとでも言うべきか、変な予感の第一歩とでも言うべきか、大変なことになった。まずは降りる客のことなど一秒たりとも考えないインド人たちが突撃してくるのを怒鳴りつけてゴームクの杖で蹴散らしながら降車することに。

そして混雑した階段を上り始めると本気で恐怖を感じるほどの大量のインド人たちが巨大な荷物(テレビ等)を抱えたまま降りてくる。もちろん我さきに降りてくるため会談の交通は悲惨なまでに混乱していた。昇って行くインド人たちももちろん同じ状態なため、狭い階段は至るところで怒号と混沌に満ち溢れていた。そこもどうにか肩から体重をかけながら突っ込んで陸橋の上まで到着するとそこは階段の混乱にさらに輪をかけた人と荷物の恐るべき渦になっていた。

もしかして戦争か暴動でデリーから市民たちが逃げ出そうとしているのではないか?真剣にそんな風に感じるほど彼らの目は血走っていて真剣で、一歩も引かず押し進もうとしてくる。彼らを怒鳴り散らし、蹴散らしながらなんとかスペースを見つけて進むとJunちゃんはとっくの昔にどこかに消えていた。ひたすら名前を呼び続けるが、喧騒の中でどこにも声は届かない。確か昔見た戦争映画でこんな場面があった。ドイツ軍の艦砲射撃で両親と子供が引き離される話だった気がするが、まさにその状態だ。15分ほど叫び続けてようやく発見。命からがらデリー駅を後にした。

その後到着した安宿街のメインバザールで皆既日食のドキュメンタリーを撮影している日本人のイノウエカオル氏にばったり再会。これは全く予想外だった。彼とも共通の友人であるデリー在住の友人にも予定通り会うことができた。さらにはヴァラナシで一緒に遊んでいたスペイン人の友人も遊びに来ていた。本当にこんなにいっぺんに再会するとは偶然にしてもできすぎだった。積もる話をしながら夜は更けていった。
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by djsinx | 2009-11-25 12:39 | 旅の記録

Birthday Trance Party

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今日は同じ宿に長期滞在している日本人の女の子が誕生日だったので再びPartyをすることにした。宿のボスも従業員も「トランスが聞きたい」と口をそろえて言うし、彼女もParty好きな子なので、せっかくだからそれじゃあトランスぱーりーをやってやろうということになった。宣伝はせず、身内メインのバースデーパーティ。まあ、ポリスに踏み込まれても困っちゃうしね。

夕方の16時頃からスタンバイして17時には従業員たちの見守る中トランスミュージック開始。最初は音チェックも兼ねつつ少しずつ古いゴアトランスのぐにゃんぐにゃんに曲がった音をかけていく。インド人もこの手の音は結構好きなようで、隣のアシュラムの屋上から眺めては楽しそうにしている人たちを見る。いい雰囲気だ。夕方には焚き火もたかれ、チャイを飲みながら回す。

19時には準備してくれたケーキでハッピーバースデー。インドはキャンドルを吹き消した後は誕生日の人が切り分けてみんなに配るという面白い風習があるようで、彼女にきれいに切ったチョコレートケーキをいただいて回しながら食べた。

この辺りから音はスオミに。大丈夫かなぁと思っていたけれどみんな全然楽しそうに遊んでいる。相変わらずビリヤードにみんなハマっていて踊りながら何度も対戦している。そして従業員の話だと、翌日が選挙の投票日で、宿の一室が最大の政党の選挙事務所になっている上に「ラジャスタンのプライムミニスター」なる人物がこの宿に泊まっているという。インドの行政区分については明るくないが、どう考えてもお偉いさんである。いいのか!?と思わず問い返してしまったけれどやはり「ノープロブレム」なのだそうだ。

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だったらいいかとExusやらNam Shubやらをかけまくってしまったけれど、改めて聞くとやっぱりぶちゃぶちゃ変態臭の溢れるひっどい楽曲である。堅気の前でやるもんじゃないwそれでもみんな遊んでいたので個人的には超ティケーである。22時過ぎにスピーカーがへたってきたのでゆっくりとチルに落として23時頃に美しく終了。。結局また6時間も回してしまった。これはもう性である。
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by djsinx | 2009-11-23 22:38 | Partyの記録

インド旅情報 プシュカル

ジャイプールからプシュカルへ

ジャイプールのバスステーションからまずアジメール行きのバスに乗る。80Rs。直通はほとんどでていないようだ。アジメールまではハイウェイを恐ろしいほどかっ飛ばして3時間弱。事故っている車も多く、全てのドライバーの運転は荒いので覚悟して乗ること。それが嫌なら電車でも行ける。アジメールのバスステーションで下りるとプシュカル行きのバスはたくさんあり、車掌が名前を連呼しているのですぐに分かる。9Rsで20分ほどでプシュカル着。そこから湖とメインのマーケットエリアまでは歩いて500m程。


プシュカル情報

創造神ブラフマーのほぼ唯一といっていい聖地。湖の周りに広がるこの街は砂漠のオアシスといった風情がとても美しい。毎年10月終わりごろにキャメルフェアが開催され、家畜のトレーダーにジプシーたち、そして大量の観光客が押し寄せる。キャメルサファリにカルチャーショーなど、イベントには事欠かないが宿の値段は5倍以上に跳ね上がるとのこと。普段はラジャスタンを中心としたお土産屋の並ぶ賑やかなトラベラースポットということもできる。宿も食事もお土産も豊富で値段は恐らくジャイプールよりはるかに良心的。交渉も楽なはず。

宿
・Shree Palace G.H
バスステーションの裏手、ガヤトリ寺院への登り口の前にある宿。プール、レストラン併設。部屋は100Rsからでベーシックだけれどきれい。

・Amar G.H
広い中庭にはレストランと芝生スペースがあり、ゆっくり時間を過ごすには最適。宿の人も親切でよい。ネットカフェも敷地内に併設されていて、目の前がすぐにマーケットエリアなので買い物も楽。それでいて静かなのは奇跡的。ホットシャワーつきで150Rsから。

レストラン
・Sai Baba Cafe
ラジャスタン風の作りの美しいカフェ件ゲストハウス。本物のピザ釜があり、ピザが美味しい。シズラー、パスタなども高くない上に旨い。土曜日の夜にはラジャスタンダンスショーがある。

・Honey dew Cafe
美味しいエスプレッソが飲める長期滞在者に人気の小さな喫茶店。食事もあってホムスが素晴らしい。メニューにないスペシャルな飲み物もあるということだった。

・View Point Restaurant
スペイン人女性とインド人の旦那が経営するカフェ件ゲストハウス。音楽好きの溜まり場になっていて夜になると人が集まってジャムセッションをやっている。時折アーティストを呼んで大きくジャム大会をやるのでこまめにチェックするとよい。09年11月末で一旦閉鎖したが再開を目論んでいるので要チェック。

・Shiva Buffet Restaurant
ビュッフェ式のレストラン。65Rsで食べ放題。インド料理メインだけれどサラダやパスタもある。頼むとフライドポテトやレモンティ等は無料で持ってきてくれる。美味しいけれど空いているのでゆっくりするのによい。

・Tibetan Restaurant
チベット系のレストラン件ゲストハウス。モモやテントゥックが美味しい。インド料理は微妙だったとのこと。ケーキも置いてあるけれどちょっと高め。

・ファラフェルラップ屋3件
マーケットエリアの中心に3件同じような鉄板でファラフェルラップやベジバーガーを出す屋台が並んでいる。どこで食べてもちゃんと美味しい。ファラフェルラップは60Rsで大満足の量。
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by djsinx | 2009-11-23 21:10 | 旅情報

Shiva moon chillout pary

1120

朝からヴァラナシ行きのチケットの手配をしようと探してみるが、合う日程のものが少なく、しかも100人以上のウェイティングリストだということなのでネパールの前にヴァラナシに行くのを諦めることにする。そうしたら気も楽になって、しかもプシュカルにもうしばらくいられることになったので結局そのほうがよかった。デリー経由でゴーラクプールに行き、そこからネパール国境を目指すことにする。

フライヤーを印刷して宿や周りの店に配り、3時ごろからのんびりと設営開始。レストランエリアはとても気持ちがいいし、ハンモックやテーブルが楽しげに配置されている。スピーカーも悪くない。ラップトップを出して繋げて位置を決める。音の出もスムーズだ。

イタリア人の友達のラップトップのセッティングをして予定より軽く遅れてJunちゃんが開始。夕方ののんびりした時間で、宿のにーちゃん達が焚き火のセッティングをしてくれたりデコを増やしたりしてくれている。友達メインで一緒にゆっくり過ごす。

18時半頃にチェンジ。焚き火は既に火がついていてみんなその周りを囲むようにしている。でもブースはかなり寒い。部屋に戻ってダウンジャケットを着込んでしまう。こういうときに宿の中だと便利でならない。20時前くらいから徐々に焚き火周りに人が増え始める。正直他の場所はちょっと寒い。椅子を一周ぐるりと並べていたけれど、その数がちょっとずつ周りから集まってきて増えていく。ちょっとキャンプファイアーみたいで面白い。

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なんとなく予感はしていたけれど、他のDJ達も緩くなってしまって焚き火の周りから動けなくなっていたようなので、そのままDJ継続。時折特性ケーキなどのおやつを持ってブースまでお褒めに来てくれる方もいらっしゃったのでこちらも常時絶好調。寒さも思ったほど酷くならず、耐えられるレベルだったのでよかった。

途中でターリーを頼んでいたので合間に食べたけれど、人生最高クラスの超絶ターリーだった。シンプルだけど一つ一つに愛がこもっている感じ。冷えてきた体にはぴったりだった。

最終的に23時過ぎまで音を出して終了。この宿は隣がアシュラムなのでそれ以降はまずいらしい。というかそれくらいでちょうどいいと思う。誰かごねても納得するしかない理由だし。その後も残る人は焚き火の周りにそのまま座って喋りながらまったり。焚き火が大体燃え尽きる1時ごろまでなんだかんだと喋ってしまった。
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by djsinx | 2009-11-21 22:35 | Partyの記録

明日はPartyの予定

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宿のにーちゃん達と話をしていたら中庭のレストランエリアでチルアウトパーティやっていいよという話になった。友達も増えてきたのでせっかくだからとセッティングしてやることにする。イタリア人とレバノン人のミュージシャンも一緒にやろうという話になる。

この日はいつものレストランでジャムセッションがあったのでそこに遊びに行ってひとしきり楽しみつつ友達の作ってくれた手書きのフライヤーをみんなに回す。
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by djsinx | 2009-11-20 22:25 | 旅の記録

あれは枯葉じゃなかったのか。。

ずっと素で「枯葉マーク」と呼んでいました。もみじと言えば五つ葉っていう
イメージがあるのであのフォルムではそういう発想にならないんですよね。
そもそも同じ葉が黄色とオレンジに紅葉分けすることなんてあるのかっていうw

「もみじ」にするなら単純に五つ葉の赤にするか、発想を変えて黄色で銀杏の
形にするかです。これ車に付けんのマジ超ナウでヤングでヒップでホップじゃね!?
と高齢者の皆様に感じていただかなくてはなりません。熱で色が変わるようにして
駐車時は緑だけど走っていると色が変わってくるとかね。おじいちゃんが近所の
おばあちゃんをドライブに誘ってしばらくしてから

「ばあさんや!わしのハートはもみじマークのように真っ赤に燃え上がっているのじゃ!」

とかロマンチックな秋の午後を過ごしているのを考えるのは楽しいものです。

それかいっそ、リンゴのマークにして「完熟」マークとかね。右側に1かじりした跡が
あったりしたらそれこそクールじゃないですか?色もシンプルな白とレインボーから
選べたらベストですね。ただ、これだと高齢者ではない一部グラフィックデザイナーや
アーティストもべたべた貼り出してしまう可能性もあるのでその辺りの対策もしっかり
練らなければいけないと思います。


こういうのは遊び心が一番大切ですねっ!!



--以下引用--

Excite エキサイト : 社会ニュース

 「紅葉ではなく枯れ葉のようだ」と評判の悪かった高齢ドライバー標識「もみじマーク」の見直しを進めている警察庁は19日、新たなデザインを20日から来年1月8日まで募集すると発表した。有識者の検討委員会が優れた図案を選んだ上で「もみじ」との優劣について一般から意見を募る。応募作が新マークに決まれば、30万円以内の制作費を支払う。応募方法は20日から警察庁ホームページで公表。
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by djsinx | 2009-11-19 17:01 | News

プシュカルの日々

この街はラジャスタンにありながら、少しリシュケシュとも近い匂いのする
不思議な街だ。ブラフマーの聖地であり、旅人にとっては世知辛くて乾ききった
ラジャスタンのオアシスでもある。文字通りこの街の中心には湖があり、
ブラフマーの創世神話の重要な舞台でもある。湖の半分を取り囲むように
市場があり、国内外のツーリストや旅人で賑わっている。

ラジャスタンの特徴でもあるのだが、他ではよく見かけるダバが少ない。
そしてそうしたダバでもメニューは結構高い。代わりに屋台のファラフェルラップを
売る店が繁華街の真ん中にあり、いつも賑わっている。フルーツジュース屋や
おいしいコーヒーやピザを出すレストランがあり、ラジャスタン中のおみやげ物が
一手にここに集まっている。

今は湖が工事のために空っぽになっているため、いつものその美しい姿は
ポストカードを見ながら想像するしかない。有名なキャメルフェアも今年は湖が
なかったために例年よりもずいぶんと集客が少なかったということだ。
この工事も、傍目には乱暴なことのように見えるけれど、数年前から水質が
急激に悪化して湖の魚が死滅するに至って、全てを大掃除しなければ
ならないという決断がなされたということだ。ただ、これもプシュカルの
住民のバッドカルマのためだという認識はあり、信心深い人の中には
気が触れてしまう人もいたということだ。ヴァラナシの「ガンガーが涸れる時に
街が滅びる」という伝説を思い出してしまうが、ここでは実際に湖はからからに
乾涸びている。

もちろん多くの住民はマイナスの経済効果に頭を悩ませつつも元気に暮らしている。
人懐っこくて時折ウザいのは当然だけれども、とてもいい人が多い。顔を覚えて
ニコニコと話しかけてくる。ただしジプシーだけは要注意。彼らは全てについて
金、金、金であり、親しくなったと思ってもそれはさらなる金を狙っているだけである。
決して彼らを信用してはならない。決して彼らから何かをただで受け取ってはならない。
嘘だと思うなら自分のお金で試してみればいい。面白い体験はできるかもしれない。
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by djsinx | 2009-11-18 17:52 | 旅の記録