カテゴリ:旅の記録( 356 )

草間彌生展 「永遠の永遠の永遠」を見て

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この世に天才がいるのなら、たぶん草間彌生はそのひとりに入るんだろうと感じる。それが昨日草間彌生展を見に行った感想だ。これまでに彼女の作品をちゃんと見たのはマドリードのレイナソフィアミュージアムの現代アートコーナーでだけだった。後はネット上の画像だったり、画集や雑誌に載っている写真、その程度だ。

草間彌生は幼い頃から幻覚を見続け、それが彼女の「反復」と「増殖」と呼ばれる水玉を基調とした作風の原型になっているという。説明だけ聞けばもちろんそれは病的な印象を受ける。実際現在は精神病院をベースにしながら活動を続けているということで、病気に分類される部分もあるのだろう。

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この展覧会の中でも彼女の死、特に自殺に関する言葉を目にする。彼女は生きるために、自殺しないための方法としてアートを見つけたと言えるのかもしれない。それは病気に対する処方などという生やさしいものではなく、崩れそうな堤防を必死で補強し続けるような作業だったのかもしれない。

ただ、彼女が自ら述べているように、その戦いは彼女の生と死だけに留まらず、恐ろしいほどに宇宙的な広がりを見せていた。彼女が太陽や月や星と言う時、それは天上に昇るのではなく、彼女の中で輝く。同じように花々や河や海は彼女の中に広がる。

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草間彌生ほど、アートマンとしての自らを通してブラフマンを観た人はいただろうか?絶えず吹き荒れる原型の嵐をまともに受けながら、そこをかくのごとく生き抜いている人はいただろうか?彼女の膨大な連作「愛はとこしえ」「わが永遠の魂」を見ながらそんなことを考えた。もちろん答えなどはない。

これ以上彼女の作品を解説も批評もできるわけがない。恐ろしいほどに圧倒されたとしか言えない。最後に見た短い映像作品の中で彼女は絵筆を握り絵を描いていたが、その時の眼差しは鬼気迫るどころじゃなかった。何かが草間彌生の中から這いずり出てきて絵を描かせているようにさえ感じた。生の原型がそのまま噴出してきているような。

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そして、自分のことを「私、天才。」と言ってしまうようなところだったり、60年代のニューヨークでの完全ノーブレーキな全力っぷりだったり、ああいう超オラオラなところは非常に好きだ。めちゃめちゃかっこよくてイイ女なのだ。恐れ多くて大先輩と呼ぶのもはばかられるほどだけれど、どう考えても自分たちの胸をはって誇るべき大大大先輩である。

もう、「何も邪魔しようとなんてしませんから、思う存分やり尽くして下さい」としか言えない。今もなお激しく燃え続ける、そんな天才だと感じた。

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開催場所なんかは同僚が記事書いてるのでそちらからどうぞ。

空間まるごと水玉模様、新作もある草間彌生の個展「永遠の永遠の永遠」 BUZZAP!(バザップ!)
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by djsinX | 2012-02-17 19:39 | 旅の記録

南米の二郎、プチェーロとの遭遇

308

この日、コチャバンバのマーケットで全く見たことも聞いたこともなかった不思議な料理に遭遇した。その名はプチェーロ。この料理を表現するのにどのような言葉が適切なのか、正直未だによく分からない。でも、それでも敢えてこの料理を説明するのであれば、それは南米の二郎、とでも言うしかないだろうという結論に自分の中だけでだが、なった。

まず最初に、このプチェーロは麺ではない。スープですらない。それでもなお南米の二郎と私が言う理由は何と言っても「初見でのインパクト」そして「強烈な具材のコンビネーション」の二点である。スペイン語として普通に訳すのであればこのプチェーロはシチューとでもなるのかもしれないけれど、いわゆる日本でイメージするシチューとは全くかけ離れた何かである。

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何を置いてもこのヴィジュアルだ。悪く言えば余りものに見えなくもない。よく言うならばアニメで料理の下手なヒロインが主人公にふるまう愛の手料理と表現することもできなくはないかもしれない。でも、私が活気に満ちたローカルマーケットの入り口を恐る恐る入ったところ、目の前の屋台ではおばちゃん達が繰り返し「プチェーロ、プチェーロ」と叫んでいたのだ。回数で言えばプチェーロが4回に対してアサドとミラネーゼが1回ずつくらいの連呼っぷりだった。どう考えても名物料理に違いない。

物珍しそうに日本人の私が覗き込んでいるとおばちゃんがこれがプチェーロだと目の前で食べている客の皿を指差す。それがこの一皿だ。見れば店にいる客の半数以上がこれをオーダーしている。おっちゃんもにーちゃんもおねいさんも、この巨大で不思議な皿を目の前にして格闘しているではないか。

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これは食べないわけにはいかない。私の決心は一瞬で決まった。値段は25B。まあ安くはないけれど、どう考えても盛りがでかすぎる。それにこの店の看板を見るとなんだか何かの賞も取っているようで、混み混みなのも恐らくそれが理由だ。「ローカルで賑わう食堂に不味いものなし!」それが私がこの3年の旅の中で得た最も重要な教訓の一つである。

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オーダーをおばちゃんに伝えるとすぐに大盛りの皿が目の前にドンと置かれる。具財の影から何かが飛び出してきそうな雰囲気満点である。二郎と違って呪文などは特に存在しないようだった。スペイン語なりケチュア語をマスターしたら実は飛び交う会話の中に隠されている呪文の存在に気付けるのかもしれないけれど、正直まだまだそれは私には荷が重かった。

一つずつ説明するのであれば、まず主役はスペアリブだ。これが皿の中央を力強く横切り強烈なインパクトを与える。そしてその周りに配置される分厚い肉の塊たちに、豚皮もトッピングされる。丸のままのジャガイモと紅イモがその下にごろごろと置かれていて、茹でられたキャベツのレイヤーがそこに厚みを加える。上からかけられているのはお粥である。タイのお粥を想像してもらえると近いものがある。そしてそこにひよこまめを含んだ肉汁スープがたっぷりかけられている。

ここまででも強烈なコンボなのだが、極めつけは写真右と左奥にあるフルーツである。これがなんと桃と洋ナシだ。これらは肉汁でじっくりと煮込まれてトッピングされているのだ。酢豚のパイナップル程度でアレルギーを起こしている軟弱者には即死レベルの衝撃かもしれない。これらが渾然一体となってテーブルの上で強烈な威圧感を放っているのだ。

これに好みで塩と青唐辛子の絞り汁をかけていただく。味と食感はもう、なんというか強烈である。肉、野菜、米の強烈なボリューム感、そしてえもいわれぬフルーツの味わい。肉汁で煮込んだ桃と洋ナシに青唐辛子汁をぶっ掛けて、お粥やスペアリブと一緒にかっ込むことを一体どれだけの私達が想像したことがあるだろうか?

そして、これが一番重要なことだが、これが本当に美味いのである。めくるめく味覚刺激のカオスの中の不思議な空白地帯。これを食べるまではそんな場所があることすら気付かなかったような、そんな新境地がここにはある。どれもどこかで見たことがあるような気がするのに、それが今までどこにも存在していなかったことに気付かされるのだ。

これで、なぜ私がプチェーロを南米の二郎と呼んだか、少しだけでも理解してもらえたと思う。数えるほどしか二郎を食べたことのない私だが、そのインパクトの激しさとその奥に広がる世界観はガツンと感じさせられた。その体験に近い物がここにはあるのだ。

もちろんそれだけではない。ここは二郎がそうであるように一種の戦場でもある。ただ、二郎が所詮は平和ボケした日本という至極安全な国の中での気分的な戦場に過ぎないのに対し、ここではリアルに危険が身の回りに存在する。どれだけ殺伐としていようと、一体どこの二郎の店舗で一瞬目を離した荷物が跡形もなく消え去ることがあるだろうか?食べるのに夢中になっていてポケットの財布が抜き去られることがあるだろうか?きっとないだろう。

でもこのプチェーロが提供されるボリビアの、ローカルマーケットではそれは日常茶飯事だ。スリもいれば明らかに関わっちゃいけない目付きのにーちゃんも同じマーケットをうろうろしている。ロンリープラネットも口を酸っぱくしてそのことを何度も注意している。プチェーロを食べるということは、この強烈な一皿と格闘しながらも、決して自らの鞄や財布のことを一瞬たりとも忘れずに守り抜きながら戦い抜くということなのだ。そのどこにも安全保障はない。抗議しても責任者なんて出てこない。身一つで挑まなければならない、そんな真剣勝負である。

なお、パラグアイのアサドとこのプチェーロのどちらが美味しいかなどと言う質問は単に野暮である。それはラーメンと二郎のどちらが美味しいかを尋ねるようなものだ。全く別の話である。そして、こんなの絶対ムリ!という女性諸君にも朗報なのだが、このプチェーロにはより小さなサイズのプチェリートというメニューが存在している。おばちゃん達が実際言っていたので間違いない。ボリュームに恐れず、この味の新境地を果敢に試してみて欲しい。アマゾンのシャーマンの儀式とは違った意味での新しい世界を知ることができるかもしれない。
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by djsinx | 2011-03-09 17:11 | 旅の記録

35時間バス移動でボリビアのコチャバンバへ 第三日

307

そしていつしか眠り込んで起きた時にはもう窓の外の景色はチャコとはすっかり違って山間の緑だった。道端を、髪を三つ編みにしたアンデスの民族衣装の女性が何人も歩いている。景色と文化が変わっていく。バスで地続きの道を走り続けてこうしてものごとが移り変わっていくのを見るのはいつでも不思議なものだ。世界は広くて、そして狭い。重なり合いつつも分かれている。

大切なのは結論付けることではない。そうした景色を肌で感じ、呼吸することだ。それらに体を馴染ませ、自らの一部としていくことだ。

コチャバンバのバスターミナルに到着したのは7時。移動時間は35時間。この前のモロッコからアルゼンチンまでのフライトの時間と大して変わらない。しかも今回はバスだ。意外と慣れるものである。ターミナルを出ると街はひっそりとしていた。朝早いからだろうか。バスターミナル周辺は治安がよくないというのでひとまずガイドブックを頼りに宿を探す。南米に来て感じたけれど、ここで危ないということはアジアで危ないという時よりもその危険度の目盛りが明らかにいくつか上だ。ブエノス・アイレスのラ・ボカでそれは初めて感じたけれど、そうした危険に対して敏感であって悪いことはない。まずは用心深くあり、そこから徐々に自分の感覚と認識を働かせて探っていけばいい。

宿に到着して汗まみれの体をシャワーで流してそのまま爆睡する。
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by djsinx | 2011-03-08 14:51 | 旅の記録

35時間バス移動でボリビアのコチャバンバへ 第二日

306

深夜の3時過ぎにパラグアイの出国手続きポイントに到着する。全員叩き起こされてイミグレの建物へ。パスポートを渡して一人一人呼ばれて出国スタンプをもらう。辺りに他の建物もほとんどないのか、ものすごい数の甲虫がうようよと這い回っていてちょっと見ものだった。飼われている犬がそれを見つけてはかりかりと美味しそうに食べていたのが印象的だった。

そこからまたバスは走る。冷房がきつくてみんな上着を着込んだり毛布を被ったりして眠っている。外に広がっているのはグラン・チャコの大平原と林のモザイクだ。国境まではしばらくかかる。

夜が明けて日が昇り、8時半に国境到着。ここでまた全員バスを降りて荷物チェック。座席の手荷物から荷室のバックパックまで全て降ろされる。でも外国人は基本的にほぼノーチェック。パラグアイ人とボリビア人が荷物を全部開けられていたけれど、いったいボリビアにパラグアイからどんな危険物やら違法な物が持ち込まれるのか想像が付かない。逆なら容易に分かるのだが。やっと終わったと思ったら15分ほどで簡単な乗客チェック。若い軍人と十代前半にしか見えない少年兵達数人がいる小屋でバスの名簿とパスポートを照らし合わせ。

そして道はなぜかここから砂利道に。隣に舗装道路があるのだがなぜか木が倒してあって使えなくなっている。もったいない。それにしても大胆なバリケードだ。ガタガタとサスペンションの弱めなバスは跳ねながらも2時間ほど走って今度はボリビア側のイミグレーション。ここでまたもや降ろされる。今度は正式な入国手続きをして入国スタンプを押される。日本人は30日間。イミグレの建物の外には両替商やスナック屋が何軒かある。パラグアイ人やボリビア人が両替しているのでとりあえずレートが極悪なことはないと判断して多少両替する。

これで終わりだろうと思っていたらまたバスを止められて再び軍人のチェック。係の軍人の周りを20人以上の少年兵たちがライフルを持って取り囲んで見守っている。悪いことはどう考えてもできなさそうだ。過去に戦争をした歴史もあることはあるがパラグアイとの関係が悪いとはあまり聞かない。その国境沿いですらこの雰囲気というのはかなり驚いた。それに兵士の若さもだ。外側から一瞥しただけでは分からない国状の内奥がちらりとだけ垣間見えた気がする。もちろん軽率な判断はしない。

計5回に及ぶ国境関連の手続きも終了。何度も叩き起こされて疲れたのかみんな昼寝に入る。でもその前に今度はチキンライスの昼食が出てくる。これがまた美味しい。チキンがぷりぷりしているしご飯も味が染みている。元気の出るメニューだ。キンキンに冷えたドリンクもまた配られる。やはりパラグアイ人のホスピタリティは素晴らしい。

その後も延々とボリビア側の道を走る。景色はチャコの平原から少しずつ山が見え始め、日本の山間にも似た雰囲気の木々や草が目立ち始める。人々の顔も少し違う。まだアンデスには入っていないけれど、ガラニの顔にもっと山の雰囲気が混じり始めているように感じた。

夕方頃に大きな街の郊外に入る。サンタ・クルスだ。夕陽が落ちて黄昏が辺りを染める頃、バスは巨大なターミナルに滑り込んだ。ここまでで24時間が経過。話をしていたボリビア人のカップルが泊まるならターミナルの前にホテルがいくつかあると教えてくれる。お礼を言って彼らと別れる。彼らはこれからアマゾンにある自分達の街まで帰るという。洪水の被害があったようで心配だとも言っていた。無事だといいのだが、ラパスでも大変だったと言う話を聞いていたので気にかかる。

途中で少し話をしたスイス人の女の子二人連れは別のバスに乗り換えて先に進むという。確かにこの街に泊まる理由も大してない。宿代を浮かせる目的でも、夜に目的地に到着するのを避ける目的でもこのまま先に進んだ方がよいような気がして私達もコチャバンバ行きのバスを探す。

するとターミナル内ですぐに何人もに声をかけられる。何人か話すとどうやら全部同じバスのようだ。念のため他のブースでも何社か聞いてみるけれど、安いバスは一つだけのようなのでそれに乗ることにする。一人50B。出発まで30分程度だったので軽く夕食を買って食べる。おいしそうだったので再びチキンライス。揚げバナナも入っていてご飯も大盛りで10Bと安い。

バスは20時に発車。バスはかなりのおんぼろでエアコンも付いていなかったけれどはっきり言って凍えるよりも全然マシ。シート自体はそれなりに快適で意外と眠れる。さすがに疲れていたのでそのままうとうとと寝ているといきなり映画の上映が始まる。しかも、どう見てもB級ホラーである。別荘地を訪れた若いカップル達が恐怖の化け物に襲われて次々と殺されていくという、スペイン語の不出来な私達でも内容を98%まで理解できるという優れものではあったが、いくらなんでも結末が開始10分で丸判りというのはやりすぎ感も否めない。心の中でツッコミ続けて時間が過ぎてくれたのはよい。
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by djsinx | 2011-03-07 14:50 | 旅の記録

35時間バス移動でボリビアのコチャバンバへ 第一日

305

今日もアサドをやると食堂のおねいさんに言われたので再び昼過ぎに訪れてもりもりとアサドを食べる。あの最高の牛肉は幻でも何でもないことをお腹いっぱいに再確認する。再び英雄広場でテレレを飲み、15時過ぎにホテルの目の前から市バスでターミナルに向かう。街は活気に満ちている。

市バスはターミナルの目の前で止まるけれど終点ではない。運転手に急かされ、他の乗客たちに助けてもらいながらなんとか大荷物を降ろしてターミナルへ。この日は土曜日だったこともあって乗ろうと思っていた会社のバスは運行していない。しかたなく他の会社のバスを予約する。値段は同じ。出発は19時だ。

スナックを食べてのんびりし、いろいろ買い込んで指定された発車口まで行ったけれどバスは来ない。19時に出るバスの車掌にチケットを見せて聞いてもこのバスじゃない、次のだと言われる。もう待つしかないのでベンチに座っているとロト売りのおっちゃんが話しかけてきてしばらく片言のスペイン語を使っていろいろと話を聞く。

パラグアイの日本人移民がいかに仕事熱心かという話で盛り上がり、私達の乗るはずのバスが来ないと言うと心配して近くの売店のおばちゃんに今日のボリビア行きのバスについて尋ねてくれたりもした。とてもいい人だ。最終的に1時間遅れの次のバスに無事乗ることができた。

乗ってすぐに夕食が出る。ファルファーレのボロネーゼで、これがしっかりと美味しい。パスタの茹で具合もソースの味付けもちゃんとしている。おまけに冷えたドリンクまで出てくる。バス自体は少々くたびれているけれどこの食事のクオリティはアルゼンチンより遥かに上だ。こだわりと愛情が感じられる。

食事の後にはスーパーに寄り、ボリビア人の乗客がマテ茶を買いこんでいたりして面白い。やはり国が変わると食文化も変わるのを目の前で感じる。隣の席にいた若いボリビア人のカップルと色々と話しこむ。彼らはスペイン語しか話さないのでがんばってフレーズブックを片手に会話を試みる。

孫子の兵法のスペイン語版を彼氏が読んでいたので、日本と中国の違いと今の中国と紀元前の中国の違いを最初に話した。その後神道の八百万の神について話し、最終的には日本の経済と今世紀に入ってからの中国とインドの躍進について語り合うことになった。どこまで通じていたのかは正直謎だったけれど脳味噌の中をスペイン語が駆け巡って非常に有意義な時間だった。
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by djsinx | 2011-03-06 14:49 | 旅の記録

人生最高の牛肉との邂逅

304

今日、ようやくアスンシオンで食べたかったアサドを食べることができた。エンカルネシオンで一度食べて本当に美味しく、また食べたいと思っていたのだが、宿の近くのローカル食堂ではどうやら週末限定のメニューだったようでなかなか巡り合えていなかったのだ。遅くなるとすぐに売切れてしまうのでお昼になったらすぐに食堂に向かう。既に食堂は人でいっぱいだ。いつもお昼時になると混み合っている人気食堂だけれど、この日の盛り上がり方はいつも以上だ。車でわざわざ店の前まで乗り付けてくる人もいる。あちこちのテーブルでおいしそうなアサドをみんな食べている。

ドラム缶を使ったBBQ台でこんがりと焼けている肉塊を指差してアサドちょうだい、とオーダーする。若い店員の女の子が肉切りナイフでその塊を切り分けてご飯の上に載せて持ってきてくれる。骨付きの部位といわゆる肉塊の部位のダブル攻めである。ご飯は薄味の炊き込み風、そして付け合せのレモンはオレンジとレモンの中間くらいの甘味と酸味の絶妙なもので、これを満遍なく振りかけていただく。

正直牛肉と言う素材には元々そこまで興味がなかったのだが、今回食べたこのアサドに関しては人生最高と言う他ない。例えるならば肉を口に入れた瞬間に盛りのついた野牛の群れが地鳴りと共に味覚神経を駆け上がって中枢神経内でガチンコファックしまくっているような野太い美味さなのだ。そう、これは料理である以前に「肉」なのだ。愛すべきパラグアイ人達はその一歩脇でそっと合いの手を差し伸べているだけだと言ってもいいだろう。

オーストラリアでは国内レストランベストテンに入るようなステーキハウスでコックもしていた自分であり、インド以降は肉よりむしろ野菜が大好きになった自分でもあるけれど、これは正真正銘、全世界に向かって最高に美味い牛肉だったと大声で叫びたい。


そしてこのアサドでお腹がいっぱいになったら中心街を英雄広場の公園まで散歩する。目的はもちろんテレレだ。脂っこい中華料理の後のジャスミン茶は格別だけれど、パラグアイの肉料理の後に飲むこのテレレも負けていない。テーブルに並べられた各種ハーブを選んで臼で潰してその汁に氷水を注ぐ。その冷えたハーブ汁でマテ茶を出して飲む。単体でもビタミン、ミネラルに溢れたマテ茶にハーブが加わり清涼感と味わいはさらに増す。屋台でポットとマテ茶を入れたカップのセットを貸してもらい、公園の自分の気に入ったベンチやら芝生やらでのんびりと飲むのが英雄広場スタイルだ。カップルや仕事の昼休みのビジネスマン、のんびりしているおばちゃん達、西洋人のバックパッカー、色々な人たちがテレレのポットとマテ茶のカップを手にうろうろしたりくつろいでティータイムを楽しんでいるのを見るのはいいものだ。

もちろん生水を使っているし、その生水も恐らく公園の水道から普通に汲んでいるものなのでお腹の具合が気になる人は熟考して飲むかどうかは決める必要がある。
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by djsinx | 2011-03-05 14:46 | 旅の記録

奇跡のマテ茶、体にいい、美味しい、トベる!

南米で有名なお茶といえば何といってもアンデスで遥か昔から飲まれていて高山病にも効果の高いとされているコカ茶であるが、それと双璧を為すのはこれ、マテ茶である。このお茶のアルゼンチン、パラグアイでの人々への密着具合はヤバイ。文字通り密着し過ぎていて引き離すことなんて到底できなそうなレベルである。

まず携帯率である。21世紀において携帯といえば「電話」となるのだろうけれど、アルゼンチンとパラグアイにおいては彼らが高確率で携帯しているのはマテ茶カップである。ひょうたん製はマテ、クイアまたはポロンゴと呼ばれ、木製はグァンパと呼ばれる。そして特殊なボンビーリャと呼ばれるストローを挿して飲む。これを老若男女問わずどこででも持っている。街角でも公園でも仕事中のデスクでも接客中のカウンターでも、走行中のバスの運転席でも本当にどこででも見る。しかも時間帯を問わない。朝から晩までいつ見ても飲んでいるのだ。パラグアイに至っては巨大な魔法瓶とカップがセットになっていて、外出時には他に何を持っていなくてもそれを持ち歩いているのではないかと思えるほどみんな持ち歩いている。お土産屋さんにも並んでいるけれどむしろ日用品店でがっつりと売られている。確かに外国人でそこまでのフリークはあまりいるまい。

これには理由があって、まず第一に恐ろしいほどの肉食文化である南米において、必要なビタミンやミネラルの多くをこのマテ茶で摂取しているということがある。あのアメリカ合衆国よりも牛肉消費量が多いというけれど、それでも生活習慣病はアメリカに比べて遥かに低い水準に抑えられているのは、マテ茶が野菜を食べることで得られる種類の栄養素を非常に豊富に含んでいることと、それを南米の皆さんが朝から晩まで毎日毎日飲みまくっていることが大きいという。

確かにアルゼンチンでもパラグアイでも主食はやはり肉である。パラグアイはまだまだ料理のレパートリーが多いのでいいけれど、アルゼンチンは肉以外は本当に貧相で、普通のカフェでサンドイッチやハンバーガーをオーダーしても野菜が一種類でも入っていることさえ非常に少ない。もう、ほぼ全てをマテ茶から取っているのではないかというくらいである。

そして、マテ茶は健康にいい上に体も強靭にすると信じられている。マテ茶が生産され、消費されている主な国はブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイであるがこの四カ国は例えば2010年のワールドカップでは全て八強まで進んでいるのだ。あれだけがぶがぶ毎日飲み続けていることを考えると、牛肉をはじめとした肉食と同時にマテ茶も彼らのフィジカルの強さの源のひとつだと言っても罰は当たらないだろうと思う。


次に言うならばマテ茶は美味しい。飲み方はいろいろあるけれど、シンプルにお湯だけ入れて飲む飲み方も、各種ハーブを足して冷製にして飲むテレレという飲み方も、「甘くないお茶」が好きな日本人にとっては渋みと清涼感が交じり合ってとてもいい。苦めの緑茶や十六茶等が好きな人なら抵抗なく飲める味わいである。

さらに伝統的な飲み方は日本の茶道を思わせる礼儀作法があってこれも楽しい。親がカップに茶葉を入れてお湯なり冷水で出し、それを一人ずつに渡して子はそれを飲み切ってカップを親に返す。「グラシアス」と言ったら満腹の合図で、みんなが満足するまで親はストローの位置を調節したり茶葉を取り替えたりしながら人々をもてなすのだ。そんな光景を公園から家の軒先からあちこちで目にすることができる。本当に文化として深く深く根付いていて、そういう光景を見るのは楽しいものだ。

逆にそのようにあまりにも浸透し過ぎているのでお店でオーダーすることはかえって難しい。バス停やら街で仲良くなったローカルと一緒に飲み交わすのでなければ自分で茶器と茶葉を買ってきて作るのが楽だし面白い。南米はキッチン併設の宿も多いので難しくはないはずだ。

そしてこのお茶の最大の魅力なのだが、かなり効く。カフェインはコーヒーやお茶と比べてかなり少なめなのだけれど、アルカロイドの一種であるマテインが含まれている。これの内訳はテオブロミンとテオフェリンということで、アルゼンチン大使館のマテ茶についての熱い記述を引用するならば

「中枢神経のシステムに 刺激を与えて活性化させ、注意力や考えをまとめる力などを活発にします」

ということでアッパーである。先日アスンシオンの公園のテレレ屋で薬草混ぜ込みテレレを初体験したのだが、一口飲んだ時点でそれと分かる。一杯飲み干すと胃袋から何かがじわーっとアガってくる。二杯目、頭の上半分がぼわーっとし始める。三杯目でごちそうさまだった。これを朝から晩まで飲んでいればそれはそれは楽しいことであろうと。というかこれは依存症になるなと。カフェインも入っているけどそれだけじゃないなっと。そんな素敵な飲み物だった。今日もこれからホテルの部屋でゆっくりと堪能である。
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by djsinx | 2011-03-02 07:44 | 旅の記録

若者の熱狂の理由、そして明日は英雄の日

パラグアイのアスンシオンに滞在している。先日若者たちが国旗を振り回しながらピックアップトラックの荷台やバスに大勢で乗って騒ぎまくっていたので驚いた。折しもエジプトで革命が起こってムバラクが退陣し、リビアをはじめ中東の多くの国にデモの波が波及しまくっていたタイミングだったのでまさかここでも、と一瞬勘繰ってしまった。

とりあえずパラグアイは貧富の差はあっても独裁政治はもう終わっているのでさすがに同じことは起こらないだろうと思って宿の人に聞いてみると、どうやらアスンシオンでサッカーの試合があったらしい。クラブチームなのかナショナルチームなのかまでは未確認だったけれど、街中で週末中爆竹や花火のような音が聞こえ、若者たちは熱狂していた。

確かにここは南米で、2010年南アのワールドカップでは決勝トーナメントで日本にも勝っている。その時に史上初の八強入りを果たして、ルゴ大統領がこの日を「祝日扱いにする」と発表してしまうほどのサッカー狂の国である。そう考えればあの熱狂も頷ける。今年の6月29日が何という名前で呼ばれるようになるのか楽しみだ。


そんなパラグアイは明日3月1日に英雄の日という祝日を迎える。調べてみるとこれがまた血なまぐさい話で19世紀の1864年から1870年にかけてパラグアイとブラジル、ウルグアイ、アルゼンチンの三国同盟の間で戦われた三国同盟戦争の、パラグアイにとっては「敗戦記念日」に当たる日だ。南米史上最悪の戦争と呼ばれていてパラグアイの人口の半分以上がこの戦争で死んでいる。ウィキペディアの記述では52万人が21万人まで減り、成人男性は三分の二以上が戦死した。またロンリープラネットによると終戦期には12歳の子供までもが最前線で農機具だけを武装として戦ったという。

恐らくは祝うというよりも戦死者たちへの慰霊の日なのだろうと想像する。何かが起こるのか、それとも静かに過ぎるのか、それは明日実際に自分の目で見てみようと思う。英雄広場も宿から歩いていける場所にあるのだ。
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by djsinx | 2011-03-01 07:46 | 旅の記録

日曜日のゴーストタウン

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日曜日のアスンシオンの中心街は平日や土曜の賑わいからは想像もできないほど全てがストップする。ローカルの店はほとんど閉まる。車もほとんど走っていないし、人もいない。時折バスが走りぬけ、ツーリスト向けのレストランがいくつか開いているだけだ。もともと世界の果てのようなこのパラグアイだけれど、よく晴れた日曜日の昼前にこんな閑散とした街を歩いていると人類なんてとっくに滅亡してしまったんじゃないかと言うようなすがすがしい気分になる。

いくつか開いているレストランには人々が集まってくる。近くのホテルに泊まっているツーリストやビジネスマンに車で乗り付けてくるお金持ちのパラグアイ人や外国人駐在員の家族。なんだか不思議に非現実的な光景だ。
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by djsinx | 2011-02-28 14:45 | 旅の記録

アスンシオンの愛すべきおんぼろバス

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エンカルネシオンを出発して首都のアスンシオンに向かう。バスステーションが近いので移動は楽だ。荷物を担いでバスステーションに行くとすぐにチケット売りが声をかけてくる。アスンシオンまで一人45000Gと定価のようなので即購入。20分ほどですぐにバスは出発。今回のバスはローカルバスで5時間ちょっとの旅程のはずだけれど驚いたことにトイレまで付いている。豪華な長距離バスでも付いていないこともままあるのでちょっとびっくりだ。

エンカルネシオンを出て1時間ほどで小さな町を通りがかったのだけれど、ここでマンディオカのパン、チパを売る物売りがバスの中に乗り込んでくる。そうしたら驚いたことにパラグアイ人の乗客が次から次へとそれを買い出したのだ。一つ二つ買って食べだす人もいるのだけれど、中には十個以上袋に詰めてもらっている人もいる。

これに似た光景をどこかで見た記憶があった。インドだ。インドの鉄道には時折名物の弁当やスナックを売る駅が存在する。パコラだったりビリヤーニーだったりするのだが、その駅に着くとインド人たちが我先にと物売りに群がっては名物を買ってパクパクとおいしそうに食べていたのだ。ここもその匂いがする。ぴんと来たので買って食べてみるとこれが抜群に美味しい。もちもちの生地の外側だけがかりっと芳ばしく焼きあがっている。チーズの濃厚な香りがたまらない。大当たりだった。街を走っていてもチパ屋が並んでいてバスステーションでも物売りが何人も売って回っていた。こういうローカルフードを見つけるのは何よりの楽しみだ。

バス自体も快適で楽しくパラグアイの大平原を満喫していると雨が降ってくる。日曜日の大雨に負けないくらいの降りっぷりだ。慌ててみんな窓を締め出すけれどちょっとおトイレのおいにーが気になる。でも開けていられないほどの大雨だ。

それも一時間程度で収まり、やれやれと思っていると外の景色がかなり大変なことになっている。平原があちこち水没しているのである。しかも平らなのでかなりの広範囲が浸水している。所々道も冠水していて何とか浅いところを選んで通らなければならないほどだ。どれくらい一般的な出来事なのかは測りかねるけれど、通常このような状態は洪水と呼ぶ。

途中の街でも道路が川になっているところが多数。下水が溢れかえっていたり家の前が丸々大きな池になっていたりと壮観だけれど、当のパラグアイ人たちがあまり焦っている様子もなく、のんびり家の前に椅子を出して座っていたりするのでなんだかありのような気もしてしまう。

そんな遅れもあってアスンシオンのバスステーションに着いたのは7時間以上経った午後5時過ぎ。そこから市バスに乗り換えて中心街に向かう。このバスがとにかく路線が多い。インフォメーションの人に教えてもらった番号のバスはなかなか来ないので、しょうがなく「Centro」と書かれているバスに飛び乗る。

アスンシオンはパラグアイ最大の都市だ。規模はかなり大きい。バスステーションから中心部までも車も多くてかなり時間がかかる。初めての街だしちょっとどきどきではある。それでもやがて中心部の広場まで到着し、何とか降りることができた。荷物が重いとこういう時はやはり大変だ。

そして見当をつけていた宿に向かって歩き始めてふと振り返るとおんぼろバスの底から何かがカコン、と音を立てて落ちた。見ていたパラグアイ人たちが騒ぎ出してバスは止まる。

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みんな苦笑いをしている。

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かなり大きな部品でどう見ても重要そうである。

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バスの故障は山ほど見たし遭遇もしてきたけれど、さすがにこれは始めて見た。よく走ってるなぁと思うようなおんぼろバスが多かったけれど、やっぱり壊れたりすることが分かった。でも見た目はクラシックカー好きならよだれが出るほどレトロで可愛らしいことだけは強調しておこう。
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by djsinx | 2011-02-24 10:19 | 旅の記録