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デリーへ そして試練の予感



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インドビザがもうじき切れるのでこの日、プシュカルを出発する。前もってアジメールからデリーまでのチケットは取っていたのでアジメールまでローカルバスで向かうことにする。だが、デリーから先のチケットが取れていなかったので、この日も朝から旅行会社に行ったり、チケット業務を委託されている郵便局に足を運んだりしたがうまく取れない。アジメール駅の予約カウンターにも行ったけれど席が余っていないと言われてしまう。なんだか変な予感がしないでもなかった。

列車は30分程遅れでアジメールを出発。その時におかまちゃんカーストの屈強な女装の男性がハイカーストらしい男性と激しく言い争いをしているのを見る。どういう経緯なのかは全く不明だ。

でもそれ以外は何も問題はなかった。9時間の快適な寝台列車の旅を終えてオールドデリー駅に到着。予定のサライロヒラ駅で降りすごし、とりあえずしょうがないからと次で降りたのがここだった。それが運のつきとでも言うべきか、変な予感の第一歩とでも言うべきか、大変なことになった。まずは降りる客のことなど一秒たりとも考えないインド人たちが突撃してくるのを怒鳴りつけてゴームクの杖で蹴散らしながら降車することに。

そして混雑した階段を上り始めると本気で恐怖を感じるほどの大量のインド人たちが巨大な荷物(テレビ等)を抱えたまま降りてくる。もちろん我さきに降りてくるため会談の交通は悲惨なまでに混乱していた。昇って行くインド人たちももちろん同じ状態なため、狭い階段は至るところで怒号と混沌に満ち溢れていた。そこもどうにか肩から体重をかけながら突っ込んで陸橋の上まで到着するとそこは階段の混乱にさらに輪をかけた人と荷物の恐るべき渦になっていた。

もしかして戦争か暴動でデリーから市民たちが逃げ出そうとしているのではないか?真剣にそんな風に感じるほど彼らの目は血走っていて真剣で、一歩も引かず押し進もうとしてくる。彼らを怒鳴り散らし、蹴散らしながらなんとかスペースを見つけて進むとJunちゃんはとっくの昔にどこかに消えていた。ひたすら名前を呼び続けるが、喧騒の中でどこにも声は届かない。確か昔見た戦争映画でこんな場面があった。ドイツ軍の艦砲射撃で両親と子供が引き離される話だった気がするが、まさにその状態だ。15分ほど叫び続けてようやく発見。命からがらデリー駅を後にした。

その後到着した安宿街のメインバザールで皆既日食のドキュメンタリーを撮影している日本人のイノウエカオル氏にばったり再会。これは全く予想外だった。彼とも共通の友人であるデリー在住の友人にも予定通り会うことができた。さらにはヴァラナシで一緒に遊んでいたスペイン人の友人も遊びに来ていた。本当にこんなにいっぺんに再会するとは偶然にしてもできすぎだった。積もる話をしながら夜は更けていった。
by djsinx | 2009-11-25 12:39 | 旅の記録
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